平戸廉吉(読み)ひらとれんきち

改訂新版 世界大百科事典 「平戸廉吉」の意味・わかりやすい解説

平戸廉吉 (ひらとれんきち)
生没年:1894-1922(明治27-大正11)

大正期の詩人。大阪生れ。上智大学中退。川路柳虹曙光詩社に入り,《炬火(たいまつ)》同人として1921年〈日本未来派運動第1回宣言〉を発表。その主張は,言語空間の意識的拡張にあり,第1次大戦後のイタリアの未来派マリネッティの影響を受けて,イマジズムダダイズム,立体主義などの新興芸術運動の総合止揚を意図した。その造形的前衛詩への形式革命の提唱は,同年の実践作品〈飛鳥〉にあらわれ,鳥の飛行の状態を活字配列の変化によって動的にとらえた空間立体詩として転換期の詩壇に多大の影響を与えた。翌年詩業半ばに肺患のため死去没後,50余編を収めた《平戸廉吉詩集》(1931)が刊行された。
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朝日日本歴史人物事典 「平戸廉吉」の解説

平戸廉吉

没年:大正11.7.20(1922)
生年:明治27.12.9(1893)
大正時代の詩人。本名川畑正一。大阪生まれ,上智大学中退。フランス語,イタリア語を学ぶ。明治末ごろから詩作を始めたらしいが,川路柳虹の曙光詩社と関係を持った大正5(1916)年ごろから,ヨーロッパの新しい詩運動に基づいた創作活動に携わり,10年,柳虹主宰の『日本詩人創刊号誌上に新しい試みの作品を発表するとともに,日本未来派運動を宣言。擬声語記号を多用し,大きさの異なる活字を使い,フランスの表現主義などに相当する第四側面の詩というものを作った。ただし,この宣言は1909年,イタリアの詩人マリネッティが『フィガロ』に発表したものの模倣であり,森鴎外の訳などにより日本でも知られていた。廉吉はそういう主張の実作者であったが,貧困と病気から夭折した。<著作>『平戸廉吉詩集』<参考文献>千葉宣一『近代の詩と詩人』

(及川茂)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「平戸廉吉」の意味・わかりやすい解説

平戸廉吉
ひらとれんきち
(1893―1922)

詩人、美術評論家。大阪生まれ。上智(じょうち)大学中退後、暁星(ぎょうせい)学園でフランス語を学ぶ。川路柳虹(りゅうこう)に師事。1921年(大正10)『日本詩人』創刊号に詩『K病院の印象』を発表。同年「日本未来派宣言運動」のリーフレットを日比谷(ひびや)街頭でまく。日本のF・T・マリネッティとも評され、「同一表現主義(アナロジズム)」を主唱。ダダイスト高橋新吉や、「赤と黒」運動の萩原恭次郎(はぎわらきょうじろう)、壺井繁治(つぼいしげじ)ら前衛詩人たちに影響を与えた。また『中央美術』記者としての美術評論もある。没後、友人たちにより『平戸廉吉詩集』(1931)が刊行された。

[高橋世織]

『『日本の詩23 近代詩集2 平戸廉吉他集』(1979・集英社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平戸廉吉」の解説

平戸廉吉 ひらと-れんきち

1894-1922 大正時代の詩人。
明治27年12月9日生まれ。川路柳虹(りゅうこう)の曙光(しょこう)詩社にはいり「炬火(たいまつ)」同人となる。イタリア未来派の影響をうけ,大正10年「日本未来派宣言運動」を提起。「日本詩人」に「飛鳥(あすか)」を発表し,詩人たちに衝撃をあたえた。大正11年7月20日死去。29歳。大阪出身。上智大中退。本名は川畑正一。

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