平時信(読み)たいらのときのぶ

朝日日本歴史人物事典 「平時信」の解説

平時信

没年:久安5.8.26(1149.9.29)
生年:生年不詳
平安後期の貴族。出羽守平知信の子。大治5(1130)年昇殿を許される。鳥羽院判官代。極位極官は,正五位下・兵部権大輔。権大納言平時忠,平清盛妻時子,後白河天皇女御建春門院滋子の父。桓武平氏高棟王の子孫で,有職故実を伝承するいわゆる「日記の家」(『今鏡』)に属し,日記『時信記』を遺している。自身は官職昇進の面で目ざましいものがなかったが,院近習として蓄えた政治的実力と,平清盛一族との結びつきにより,子の代に急速に朝廷内での地位を向上させている。仁安3(1168)年,外孫高倉天皇即位に伴い,正一位左大臣を追贈される。

(上杉和彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平時信」の解説

平時信 たいらの-ときのぶ

?-1149 平安時代後期の官吏
平知信(とものぶ)の子。有職(ゆうそく)故実をつたえる平高棟流平氏に属する。鳥羽院判官代をつとめ,正五位下,兵部権大輔(ごんのたいふ)にすすむ。平時忠,平時子,建春門院の父。久安5年7月26日死去。外孫の高倉天皇の即位で正一位,左大臣が追贈された。日記に「時信記」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の平時信の言及

【平清盛】より

…また高倉天皇自体,清盛の妻平時子の妹滋子(じし)(建春門院)が後白河院のもとに入って1161年(応保1)に生んだ天皇であった。この時子・滋子姉妹は桓武平氏高棟(たかむね)王系の平時信の子で,堂上公家平家の出であり,また桓武平氏の本宗の流れをくむ家柄である。〈平氏〉としてはこの高棟王系のほうが嫡流で,清盛のような高望(たかもち)王系の武家平家は傍流にすぎなかった。…

※「平時信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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