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実業家,政治家,アマチュアスポーツ振興の功労者。神奈川県出身。スポーツ万能で,慶応大在学中は野球部選手であった。若くして衆議院・貴族院議員として政界で活躍,また多くの会社の社長,重役として経済界でも著名であった。そのかたわら日本陸上競技連盟,日本ハンドボール協会,東京六大学野球連盟会長などを歴任,多くのスポーツ団体に関係した。1932年のロサンゼルス,36年のベルリンの両オリンピック大会で日本代表選手団団長を務め,また岸清一とともにオリンピック東京大会(第12回)の招致に努力した。36年に国際陸上競技連盟会長に推薦された。第2次大戦後は46年1月から日本体育協会の第5代会長と日本オリンピック委員会(JOC)委員長を兼務,とくに国民体育大会の開催に尽力したが,公職追放で11月に辞任した。51年に横浜市長に選出された。55年文化勲章受章。
執筆者:広畑 成志
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「スポーツの父」といわれたスポーツ人。横浜市生まれ。慶応義塾大学時代からスポーツ万能選手であった。神奈川県議会議員から、貴族院(いまの参議院)議員を務めたが、スポーツ界との縁は切れず、1946年(昭和21)日本体育協会(現、日本スポーツ協会)が会長公選になったとき、第1回の会長に選ばれた。ロサンゼルス、ベルリン両オリンピック大会には日本選手団の団長。また、陸上競技連盟、バレーボール、体操、ハンドボール、東京六大学野球連盟などの会長を務めるなど、スポーツ界功労者として活躍した。また、スポーツこそ青少年に希望の灯をともすとして、国民体育大会の開催を考え、大会旗を地方持ち回りにすることで施設の充実を願い、成功した。
[石井恒男]
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