平致頼(読み)たいらのむねより

朝日日本歴史人物事典 「平致頼」の解説

平致頼

没年寛弘8.10.2(1011.10.30)
生年:生年不詳
平安中期の武将。平五大夫と称す。父は良兼の子で武蔵守の公雅。備中掾などを歴任し,伊勢国(三重県)に勢力を張り,長徳4(998)年所領をめぐって同族平維衡と争い,従五位下の位階を奪われて隠岐(島根県)に流された。3年後に許されて本位に復す。『今昔物語集』によると天延2(974)年,祇園社と延暦寺とが本末をめぐって争ったとき,祇園社別当の良算に請われて父と共に傭兵となり郎等を率いて馳せ参じたという。『古事談』では,子の致経から「堅固な田舎人で大まかだ」といわれるほど無骨で礼儀知らずな武人として描かれている。一条天皇のとき天下一武士に源満仲,平維衡と共に挙げられている。

(朧谷寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平致頼」の解説

平致頼 たいらの-むねより

?-1011 平安時代中期の武人。
平公雅の子。武勇で知られ,源頼信,藤原保昌(やすまさ),平維衡(これひら)とともに四天王と称される。長徳4年伊勢(いせ)(三重県)の所領をめぐって同族の維衡とあらそい,隠岐(おき)(島根県)に流されたが,長保3年ゆるされ京都にもどった。寛弘(かんこう)8年10月2日死去。通称は平五大夫。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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