平通盛(読み)たいらのみちもり

朝日日本歴史人物事典 「平通盛」の解説

平通盛

没年:元暦1.2.7(1184.3.20)
生年:生年不詳
平安末期の公卿,武将。久寿2(1155)年ごろの生まれか。権中納言平教盛と藤原資憲の娘との嫡男。弟に教経がいる。平治2(1160)年蔵人。以後常陸介,能登守を経て越前守となる。治承3(1179)年中宮亮。寿永2(1183)年2月従三位となるが,平家西走によって8月除名。翌年一の谷の戦で討死を遂げる。『平家物語』では治承4(1180)年南都攻撃には副将軍,寿永2年北国追討には大将軍として発向。都落ち直前には宇治橋を固め,都落ち以後も西国で戦う様が記される。また,愛人小宰相があとを追って入水する悲話が描かれ,ふたりの馴れ初めも描かれる。ふたりの恋は『建礼門院右京大夫集』にも載る。

(櫻井陽子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平通盛」の解説

平通盛 たいらの-みちもり

?-1184 平安時代後期の武将。
平教盛(のりもり)の長男。従三位となり,越前(えちぜん)(福井県)を知行して越前三位と称される。治承(じしょう)・寿永の乱では北陸道鎮圧にあたったが,倶利伽羅(くりから)峠で源義仲に敗れる。寿永3年2月7日一ノ谷の戦いで討ち死にした。初名は公盛(きんもり)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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