幻覚薬(読み)げんかくやく(英語表記)hallucinogen

翻訳|hallucinogen

改訂新版 世界大百科事典 「幻覚薬」の意味・わかりやすい解説

幻覚薬 (げんかくやく)
hallucinogen

幻覚剤ともいう。選択的に幻覚をひき起こす薬。しかし多少ともそれ以外の症状を伴う。一般に脳に働く薬(催眠薬アルコールなど)は中毒量以下でも行動異常を起こす性質をもっており,ふらつき,手の震えなどを伴うことが多いが,意識混濁とか,時間・場所などの見当づけが狂うことなしに特異的に精神異常を現す薬を精神異常発現薬psychotomimetic drugと呼ぶ。このなかの一種,精神展開薬psychedelic drugを俗に幻覚(発現)薬と称する。精神展開体験とは,自己内界に注意が向かい,思考力や感覚が高まったと感じ,自他の境が不明になり,人類ないし宇宙への合体感を意味する。精神展開薬は化学的に,(1)β-フェネチルアミンメスカリンアンフェタミンなど),(2)インドール系物質(ジメチルトリプタミンDMT),サイロシビンハルミンなど),(3)副交感神経薬(アトロピンフェンサイクリジンなど),(4)リゼルギン酸誘導体(LSD-25など),(5)その他(笑気,ナツメグ,マリファナ,バナナの皮など)に分類されるが,作用の強弱によってマイナー・サイケデリクスとメジャー・サイケデリクス(メスカリン,LSD,サイロシビン,DMT,STP,JB-329など)とに二大別されることもある。

中央アメリカでは古くからペヨーテなどの幻覚を起こす植物が知られていて宗教や儀式に使われてきた。キリスト教の伝道者がこれを悪魔的なものとして追放しようと努めたが,インディオたちがキリスト教に改宗してからも,こうした植物に対する信仰は残った。メキシコで使われるオロリウクイololiuquiはヒルガオの一種Rivea corymbosaの種子で,1941年にハーバード大学の植物学者シュルテスR.E.Schultesが詳しく調べるはるか以前の1651年に,早くもスペインの医師エルナンデスFrancisco Hernandezが〈これを食べるとせん妄状態になり,幾百もの景色が見え,悪魔的幻覚が現れ……〉と記録している。その種子を分析したホフマンAlbert Hofmannによると,有効成分はリゼルギン酸アミドとリゼルギン酸-1-ヒドロキシエチルアミドで,LSD-25の1/20~1/40ほどの効力をもつという。テオナナカトルteonanácatl(〈神の肉〉の意)はキノコPsilocybe mexicanaで,これを食べると神と交信できると考えられていた。1953年にワッソンR.Gordon Wasson夫妻が初めてその儀式に加わり,キノコを持ち帰ってホフマンが分析した結果,有効成分はサイロシビンとサイロシンであることがわかった。メスカリンの約100倍強力な物質だがLSD-25の1/100の力しかない。アメリカでは66-67年に精神展開薬が若者に広く用いられ,大学生の20%が使用経験者だったという。《ライフ》誌によると1966年にアメリカ全体でLSD-25をのんだ回数は100万回にのぼったという。

精神展開薬は連用すると,価値観が変わったり,仕事に興味を失い,神秘的なものに興味をもつようになり,自己の内面の世界がみえるようになる,立身出世がむなしくなる,自分の能力が向上したと感じる,人とうまくつき合えるようになり防衛的でなくなる,ストレスに鈍感になる,他人にも服薬を勧めたくなる,などの心理的変化の報告がある。

 精神展開薬を服用したときの症状は,まず身体面の変化が先行し,次に知覚変化と気分変化,最後に精神変化がくる。身体面では,めまい脱力感,震え,吐き気,目のかすみがある。知覚変化は,色や形が変わって見える,焦点がぼける,音に敏感,音がすると色が見える(共感覚)など。気分変化には,幸福感,もの悲しさ,いらいら,緊張感がある。精神面では,時間感覚のずれ,考えを表現できなくなる,自分が自分でない感じ,夢見るような感じ,集中困難,考えがわいてくる,時や場所がわからなくなるなどの変化がある。幻視は,活発に変化する多色の幾何学模様が特徴的である。意識や知覚を変える薬は乱用されるおそれが濃いが,安定した性格の人が不純物の混入していない薬の正確な量をゆったりした気分になれる環境で,邪魔者が入れぬようにして理解ある熟練者の同席のもとに服薬しないかぎり,恐慌状態になる危険がある。精神病の前歴をもつ人が服用すると再発したり悪化することがあるが,精神展開薬自体で精神病を誘発することはないと考えられている。一度服薬すると数週間ないし数ヵ月あとになって服薬時と同じ精神状態が起きるフラッシュ・バック現象が25%にみられるが,数分で収まる。服用後に恐慌状態に陥る(バッド・トリップbad tripという)ことがあるが,説得によって落ち着くことが多い。長びく場合でも6週間以内に正常に戻る。アメリカでは精神科を訪れる緊急患者の最多数がアルコール依存症,第2位がフェンサイクリジン急性中毒である。これは〈天使の粉(エンゼル・ダストangel dust)〉とかPCPと呼ばれてアメリカで大流行している薬であり,その使用経験者はアメリカだけで700万人,薬物乱用者の65%を占め,1977年には,これが原因で死亡した者100人,救急入院者4000人に達した。この急性中毒では説得も無効だし抗精神病薬も与えてはならない。

 以上のように精神展開薬は確かに有害な面もあるが,これによって精神障害者の心理を精神科医が体験できるようになったし,精神療法に利用したり,また動物に与えて実験的精神病を起こさせることにより精神治療薬の開発に役立つなど,プラスの面も評価すべきである。
向精神薬
執筆者:

幻覚を起こさせる作用をもつ物質を幻覚薬というが,文化的な文脈のなかで用いられているこの種の薬物は,けっして実在しないものをみるために用いられているのではない。むしろ,実在のものとしてみている。それゆえ,この命名自体にすでに文化的なかたよりが認められる。使用する人々にとっては〈正夢薬〉あるいは〈精神旅行薬〉とでも呼ばれるべきものであろう。現在,幻覚薬の作用をもつとして知られている植物はほぼ100種にのぼり,その多くは新大陸で最近になって発見されたものである。ただし旧大陸においてもヨーロッパのマンドレークmandrake(Mandragora officinarum,ナス科)や熱帯アフリカのイボガiboga(Tabernanthe iboga,キョウチクトウ科),中近東のハシーシュCannabis sativa,クワ科),シベリアのベニテングタケ(テングタケ)など,いくつかの植物が知られている。新大陸では,メキシコのオロリウクイ,聖なるキノコ(シビレタケ属,ヒカゲタケ属,モエギタケ属などに属するキノコ),サボテンの1種であるペヨーテ,北アメリカから南アメリカにかけて用いられるナス科のダツラDatura属やソランドラSolandra属の植物,アマゾニア地方で用いられているヤヘーyajé(Banisteriopsis caapiB.inebriansなど,キントラノオ科)やマメ科のアナデナンテラAnadenanthera属,ニクズク科のビロラVirola属の植物がある。幻覚薬の90%は,中央アメリカからアマゾニア地方にいたる地域でみられ,それらの地域の文化に対して〈幻覚薬文化〉という呼称が用いられることがある。そこでは幻覚薬は,彼らの神話的世界の追体験や病気治療の診断に用いられている。この文化はおそらくシベリアのベニテングタケと組み合わされたシャマニズムを起源とし,ベーリング海の陸橋を越えて新大陸にもちこまれ,そこで特異なかたちで発達したものであると考えられている。
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百科事典マイペディア 「幻覚薬」の意味・わかりやすい解説

幻覚薬【げんかくやく】

精神展開薬とも。服用すると幻覚をひき起こす薬で,アトロピンLSDマリファナハシーシュ大麻),メスカリンなどが有名。幻覚薬の歴史は古く,メキシコのペヨーテ(サボテンの一種)やシベリアのベニテングダケなど,世界各地で幻覚性植物を服用して宗教的・神話的体験や病気治療の診断に用いられる例が多い。
→関連項目ミショー

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世界大百科事典(旧版)内の幻覚薬の言及

【興奮薬】より

…ジメチルアミノエタノールは,脳内でアセチルコリンの原料となって中枢興奮に寄与するものと考えられている。(6)幻覚薬 幻覚,妄想および人格や感情の混乱を生ずる薬物である。メキシコ産のサボテンのアルカロイドであるメスカリン,インドタイマの成分であるテトラヒドロカンナビノール,麦角アルカロイドの誘導体であるリゼルギン酸ジエチルアミド(LSD),メキシコ産のキノコのアルカロイドであるシロシビンなどが研究されている。…

【毒】より

…部族社会で呪医(じゆい)として活動するシャーマンは,敵を〈毒殺〉する一方で,味方の治療をするためにしばしば毒キノコや幻覚作用のある植物を口にし,霊的世界と往来する例がみられる。これらの幻覚薬は新大陸でよく知られており,カリフォルニアからメキシコにかけてのインディオが使うペヨーテ,南アメリカにまで広がるチョウセンアサガオ(ともにアルカロイド毒),アマゾン流域のキントラノウ科の植物(Banisteriopsis caapi),メキシコや東北アジアにみられるシビレタケ(シロサイビン毒),テングタケ(ムスカリン毒)がその代表であろう。漁毒としても知られるタバコ汁も治療の際にシャーマンに飲まれることがある。…

※「幻覚薬」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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