広橋守光(読み)ひろはし・もりみつ

朝日日本歴史人物事典 「広橋守光」の解説

広橋守光

没年大永6.4.1(1526.5.12)
生年:文明3.3.5(1471.3.26)
室町後期の公卿。是称院と号し法名は祐寂。町広光の子で権中納言兼顕のあとを継いだ。兼顕の没した文明11(1479)年に元服,叙爵し,長享2(1488)年蔵人,翌延徳1(1489)年右少弁となり朝廷での勤めが始まり,明応8(1499)年までには蔵人頭,正四位下,左中弁まで昇進し,永正2(1505)年には右大弁,参議,従三位となり公卿に列し,さらに左大弁になり朝廷の実務に欠かせない人物となった。同6年権中納言に任ぜられると武家伝奏になり,内紛の多くなった室町幕府との調停・連絡役に苦労した。同13年従二位,同15年権大納言となった。大永1(1521)年践祚後22年たった後柏原天皇の即位式の即位伝奏も務めた。同4年一族日野家の長者となり,正二位にも叙せられた。長年の功で亡くなる日に従一位,准大臣になり,天文7(1538)年内大臣が贈られた。

(飯倉晴武)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「広橋守光」の解説

広橋守光 ひろはし-もりみつ

1471-1526 戦国時代の公卿(くぎょう)。
文明3年3月5日生まれ。父は権(ごんの)大納言町広光(まち-ひろみつ)。広橋兼顕(かねあき)の嗣子となり,永正(えいしょう)2年参議兼右大弁。権大納言をへて,従一位,准大臣にすすむ。武家伝奏(てんそう)をつとめた。大永(たいえい)6年4月1日死去。56歳。贈内大臣。

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367日誕生日大事典 「広橋守光」の解説

広橋守光 (ひろはしもりみつ)

生年月日:1471年3月5日
戦国時代の公卿
1526年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の広橋守光の言及

【御料所奉行】より

…室町時代中後期,禁裏(皇室)御領を管理するために朝廷内に置かれた役人。1436年(永享8)に三条実量が任命されたのを初見とし,98年(明応7)には三条実望が任ぜられ,1502年(文亀2)ごろの勧修寺(かじゆうじ)政顕,13年(永正10)までその職にあった広橋守光,守光に代わって任ぜられた三条西実隆,61年(永禄4)ごろの三条西公条などが知られている。これらの人々はいずれも幕府,武家との強い関係をもっている。…

【守光公記】より

…室町後期の公家広橋守光の日記。1507年(永正4)から21年(大永1)に至る自筆本が,東洋文庫(8冊2軸)と宮内庁書陵部(2冊)に所蔵されている。…

※「広橋守光」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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