座喜味城(読み)ざきみじょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「座喜味城」の意味・わかりやすい解説

座喜味城
ざきみじょう

沖縄県読谷(よみたん)村にある城跡築造の正確な年代は不明であるが、伝承によると15世紀初期に護佐丸(ごさまる)の手でつくられたものだという。護佐丸は尚巴志(しょうはし)の山北(さんほく)征討軍に加わったあと山田城(恩納(おんな)村)からここに拠点を移し、要津長浜を擁して海外貿易を行い勢力を築いた。1440年(永享12)ごろ、護佐丸が拠点を中城(なかぐすく)城(中城村北中城村)に移したため廃城となったという。城跡は、第二次世界大戦の沖縄戦で日本軍が高射砲台を築くため一部破壊し、戦後はアメリカ軍がレーダー基地を設置したためにふたたび破壊された。しかし、その後復原・修復工事が施され、かつての城壁拱門(きょうもん)(アーチ型の門)を目にすることができるようになった。沖縄の石造建築を代表する遺構の一つ。国指定史跡(1972)。2000年(平成12)琉球(りゅうきゅう)地方の独特な文化遺産を対象に「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」が世界遺産の文化遺産に登録されており、登録遺産群9か所のうちの一つに含まれている(世界文化遺産)。

[高良倉吉]


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日本の城がわかる事典 「座喜味城」の解説

ざきみじょう【座喜味城】

沖縄県中頭郡読谷(よみたん)村にあった城(グスク)で、15世紀初期に読谷山按司(よみたんざんあじ)だった護佐丸(ごさまる)によって築城された。中山軍(ちゅうざんぐん)の武将として北山(ほくざん)を滅ぼした護佐丸は、山田城(国頭(くにがみ)郡恩納(おんな)村)から移ってきた。沖縄本島に400~500あるといわれるグスクのなかで、赤土台地に建てられている城は珍しく、やわらかい地盤を強化するため、城壁を屏風状にしたり幅を広げるなどの工夫がなされている。現在、沖縄最古のアーチ式の石門や城壁が残り、城門などが復元され公園になっている。那覇から29バス1時間10分で座喜味下車、徒歩約8分。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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