庭者(読み)にわのもの

改訂新版 世界大百科事典 「庭者」の意味・わかりやすい解説

庭者 (にわのもの)

室町時代に活躍した河原者かわらもの)の別称の一つ。また,江戸時代には徳川将軍家に仕え,白衣で江戸城の奥庭の清掃や将軍の身の警備に従事するとともに,秘密情報の収集・提供を行った〈御休息御庭之者(ごきゆうそくおにわのもの)〉(ふつうには庭番(にわばん),御庭番(おにわばん)といった)のことをさし,さらには〈猿楽師能役者)〉に対する軽侮の念のこもった言葉として使われた語。別にまた,江戸時代に各地の農家に代々隷従奉仕した貧農をさす〈庭子(にわこ)〉の語とも同義に用いられた場合がある。

 室町時代の庭者は,禁裏(天皇の御所),公家邸,武家邸,寺社などの庭の造作・掃除樹木の手入れにたずさわり,身分的には卑賤視されていた河原者(山水河原者(せんずいかわらもの))が主であり,彼らは,ときには使者伝令飛脚任務にも駆使されていたことが知られている。たとえば1489年(延徳1)3月に第9代将軍足利義煕(よしひろ)(もと義尚(よしひさ))が近江の鈎(まがり)の陣中で病没したさい,京都政界の要路との連絡には〈河原飛脚者(かわらのひきやくのもの)〉が走ったらしいし(《蔭涼軒日録》),また1529年(享禄2)5月,近江にいた武家の細川高国が京都の公家の三条西実隆に宛てた書面を届けさせたのは,〈岩福(いわふく)〉〈犬(いぬ)〉という名の,2人の〈庭者〉であった(《実隆公記》)。

 室町幕府の職制下にあった者は,とくに〈公方(くぼう)御庭者〉と呼ばれ(公方は将軍のこと),庭奉行(にわぶぎよう)に統轄されており,また,江戸幕府においては若年寄配下に置かれて,いずれも庭園,篝(かがり)などに関する雑役に従事した。

 なお,庭の清掃の仕事,ならびにそれに従事して生活の資とした人々は,室町時代には〈庭掃(にわはき)〉とも呼ばれ,《三十二番職人歌合》にも〈名にたてるこや庭はきの家の風花を我世の朝きよめかな〉と見えている。また,室町時代の《旅宿問答》などにみられる諺に〈猿楽は庭の者,舞々(まいまい)は縁(えん)の者〉というのがあり,〈能役者は掃除を仕事とし,幸若舞の役者は縁先から上に上がるのを許されていなかった下賤な民である〉の意味に解されている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「庭者」の解説

庭者
にわのもの

室町時代,庭の造作,樹木の剪定(せんてい)・石組などを専門とした人々。山水河原者(せんずいかわらのもの)とよばれる河原者が従事した。幕府の庭者は公方御庭者,内裏は禁裏御庭者とよばれ,ある程度所属が決まっていたとされる。15世紀半ばの善阿弥や虎(虎菊)が著名で,善阿弥は将軍足利義政に重用された。使者などとしても使われ,江戸幕府の御庭番(御庭之者)に引き継がれた。

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