康朝(読み)こうちょう

朝日日本歴史人物事典 「康朝」の解説

康朝

生年生没年不詳
平安後期の奈良仏師康助の子,成朝の父,康慶の師と伝えられる。久寿1(1154)年,鳥羽金剛心院釈迦三尊像を造り,その造仏賞を康助から譲られて法橋に叙せられ,また長寛年間(1163~65)には法眼位に上ったといわれている。後者は長寛2年の蓮華王院供養の際の造仏によるものともみなされる。作風については,保元3(1158)年中山中納言忠雅の本願で,その亡母の供養のため高野山遍照院に造立した大日如来像が,「甚だ疎荒」との不評を買ったという逸話が残っており,従来のものとは異質の革新的な内容を持っていたとも推測される。<参考文献>毛利久「藤原時代の奈良仏師」(『仏師快慶論』),麻木脩平「初期慶派様式の形成と古代彫刻」(『仏教芸術』184,186号)

(浅井和春)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「康朝」の解説

康朝 こうちょう

?-? 平安時代後期の仏師。
康助(こうじょ)の子という。久寿元年(1154)鳥羽(とば)金剛心院の釈迦(しゃか)三尊像,長寛2年蓮華(れんげ)王院本堂(三十三間堂)の造仏にたずさわる。高野山遍照院の大日如来像は出来が「甚だ疎荒」と評された。法眼(ほうげん)。京都出身。

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