廉想渉(読み)れんそうしょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「廉想渉」の意味・わかりやすい解説

廉想渉
れんそうしょう / ヨムサンソプ
(1897―1963)

韓国(大韓民国)の小説家。ソウルの生まれ。1912年渡日して麻布(あざぶ)中学に入学、京都府立中学を経て慶応大学文学部に進んだが、19年、三・一独立運動に参加して投獄される。中退して帰国後『東亜日報』や『東明』(週刊)などの記者生活を送り、一時期満州(中国東北部)にも行く。彼の作家生活は1921年の『標本室青蛙(あおがえる)』(『開闢(かいびゃく)』掲載)に始まるが、デビュー作であるこの短編は、過渡期における青年の不安と煩悶(はんもん)、焦燥を分析し、自然主義的なタッチでみごとに描いたものとして文学史に鮮明な足跡を残している。解放後も精力的に作品を書き続け、53年のソウル市文化賞をはじめとして、大韓民国文化勲章など、数々の賞を受けた。

梶井 陟]

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改訂新版 世界大百科事典 「廉想渉」の意味・わかりやすい解説

廉想渉 (れんそうしょう)
(R)Yǒm Sang-sǒp
生没年:1897-1963

朝鮮の作家。本名尚燮,号は横歩。ソウル出身。慶応大学中退。《廃墟》の同人として評論により文学活動に入ったが,1921年短編《標本室の雨蛙》で注目される。同年《東亜日報》をふりだしに各紙の記者生活をしながら,植民地末期の数年を除き生涯を通じて旺盛な創作活動を見せた。代表作は《万歳前》(1923),《三代》(1931)。前者は三・一独立運動前夜の暗い社会を背景に虚無に陥った青年を日本自然主義の影響色濃い筆緻で描く。後者は封建地主,開化期開明派,植民地世代の一家三代を中心に,1930年代朝鮮社会を再構成して写実主義文学の一つの到達点とされる。日常生活を緻密になぞる鈍く重い独特の写実的文章をもつ。
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百科事典マイペディア 「廉想渉」の意味・わかりやすい解説

廉想渉【れんそうしょう】

朝鮮の作家。本名尚燮,号は横歩。ソウル生れ。啓蒙主義に反発して自然主義と浪漫主義の旗印をかかげた《廃墟》の同人として出発。代表作は日本の植民地下という暗い現実を直視した《万歳前》(1923年),《三代》(1931年)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「廉想渉」の意味・わかりやすい解説

廉想渉
れんそうしょう

ヨム・サンソプ(廉想渉)」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の廉想渉の言及

【朝鮮文学】より

…初期の李光洙にはトルストイ的な理想主義に立った民衆の教化者としての自覚があった。1919年の三・一独立運動の前後に金東仁,朱耀翰らの《創造》(1919年2月~21年5月),金億,廉想渉(れんそうしよう)らの《廃墟》(1920年7月~21年1月),朴鍾和,洪思容らの《白潮》(1922年1月~23年9月)といった文学同人誌が出現し,李光洙流の啓蒙主義に反発して自然主義と浪漫主義の旗印をかかげた。そうしたなかから,理想を追うよりも暗い現実を直視し,その変革を示唆する批判的リアリズムの文学があらわれた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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