廣陵王璽(読み)こうりょうおうじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「廣陵王璽」の意味・わかりやすい解説

廣陵王璽
こうりょうおうじ

1981年2月 24日,中国江蘇省揚州地区せん行県の甘泉二号漢墓付近で住民が金印拾得,印面には篆書で「廣陵王璽」銘が陰刻されていた。南京博物院の鑑定で,後漢の光武帝劉秀の子,廣陵王劉荊の印と判明した。純金製で,1辺 2.3cmの正方形,厚さ 0.9cm,鈕は亀形,総高 2.1cm,重量 123gである。『後漢書・輿服志』の徐廣の注に,「太子及諸王金印,亀鈕,くん朱綬」とあり亀鈕金印の「廣陵王璽」は符号する。また『後漢書・明帝記』には「永平元年 (A.D.58年) ,八月戊子,徒三陽王荊爲廣陵王,遣就國」とあり,後漢明帝 (在位 57~75年) から劉荊に下賜されたことが明らかである。漢代諸侯王金璽は「滇王之印」などごくわずかしか見つかっておらず,伝世品の大半も玉製の偽作であり,本印は確実な資料として貴重である。なお 1784 (天明4) 年に,福岡県志賀島叶崎で発見された金印は,「漢委奴國王」銘の蛇鈕紫綬印で,中元2年 (A.D.57年) に光武帝から奴国王に下賜されたものであり,「廣陵王璽」と規格・重量・書体等がほとんど同一で,製作年代もわずか1年の差であり,洛陽の官営工房で同一工人により製作された可能性が大きい。

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