朝日日本歴史人物事典 「建野郷三」の解説
建野郷三
生年:天保12.12.1(1842.1.12)
明治期の官僚,実業家。豊前国小倉(福岡県北九州市)に生まれ,本姓は渡辺だが牧野家で養われ,のち建野健三の養子となる。慶応2(1866)年第2次長州征討の際に小倉藩士として長州軍と交戦し,小倉落城後の長州軍による世子人質要求に対して赤心隊を結成し徹底抗戦を説いた。維新後明治3(1870)年から英国に留学し,帰国後,10年宮内省御用掛。西南戦争(1877)に従軍し,米国前大統領グラントの訪日に際し接伴掛を務めた。13年大阪府知事に転じ約10年間の在任中市区改正などに治績を挙げたが,築港事業に挫折し自ら転任を希望した。のち元老院議官を経て駐米公使となり日清開戦(1894)まで条約改正に尽力,退官後は神戸商業会議所会頭などを務めた。<参考文献>歴代知事編纂会『日本の歴代知事』
(長井純市)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報