朝日日本歴史人物事典 「式地亀七」の解説
式地亀七
生年:明治21.1.21(1888)
明治後期・大正昭和期の篤農家。高知県土佐郡森村高須(土佐町)の池添富吉と雪の次男。叔父式地長次郎の娘久恵の婿養子となる。博覧強記で才智があり研究心旺盛で,農事に励んだ。明治44(1911)年水稲二期作の後期用の品種として各種の品種を交配した「相川44号」の育成に成功。のちに高知県立農事試験場で改良が加えられた。香長平野を中心に作付け面積が広がり,大正期には九州地方の西南部にまで普及した。昭和初期には6000haに及んだ。42年には相川採種組合を創立し,初代組合長を務めた。<参考文献>『土佐町史』
(山本大)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報