弘光帝(読み)こうこうてい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「弘光帝」の意味・わかりやすい解説

弘光帝
こうこうてい

福王朱由崧」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の弘光帝の言及

【南明】より

…李自成が北京を陥れ,崇禎帝が自殺して明朝が滅ぶと,明朝復興運動が相次いで起こった。最初に設立されたのは南京の福王政権で,福王は万暦帝の孫にあたり,史可法,馬士英らに擁立されて弘光帝をとなえた。しかし彼はその器でなく,また政府部内では明末以来の党争がもちこされ,強力な団結に欠けていたので,1645年(清の順治2)4月清軍の攻撃をうけて揚州で史可法が戦死すると,5月には南京も陥り,帝は捕らえられて殺された。…

※「弘光帝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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