弥富(読み)ヤトミ

デジタル大辞泉 「弥富」の意味・読み・例文・類語

やとみ【弥富】

愛知県西部にある市。伊勢湾に面し、海抜0メートルの平地が広がる。稲作なども盛んだが名古屋市のベッドタウン化が進む。平成18年(2006)4月弥富町十四山じゅうしやま村が編入して市制施行。人口4.3万(2010)。

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日本歴史地名大系 「弥富」の解説

弥富
やとみ

鹿島かしま川中流右岸に位置する白井しらい庄内の地名。佐倉と東金とうがねを結ぶ古道が通り、塩古しおことともに白井庄の中心をなした。現佐倉市岩富いわとみ・岩富町付近に比定される。弥留とも記され、イヤトミとも称された。年月日未詳の飯野八幡宮縁起注進状案(飯野八幡宮文書)によると、文治五年(一一八九)頃に奥州好島よしま(現福島県いわき市)の預所であった千葉常胤代官として弥富四郎忠茂と白井右衛門尉忠光が派遣されている。弥富氏は白井庄の開発領主白井氏の一族で、弥富を領した。享徳の乱のなか、古河公方側の馬加氏・原氏が関東管領側の千葉宗家・円城寺氏を滅ぼすと、千葉宗家の被官化していた白井氏やその一族とされる円城寺氏が領し(千葉大系図)、宗家の重要な基盤となっていた白井庄にも公方側の原氏が進出、弥富原氏と称した。同氏は信濃守(法号道儀)を祖とする。その次男の信濃入道(朗意)は文正元年(一四六六)六月三日の足利義政御内書(御内書案)松渡まつど城郭(現松戸市)を守るよう命じられた。弥富原氏は景広(朗真)の代に大いに発展し、文明年間(一四六九―八七)には殿山とのやま城から岩富城に居城を移し、有力な在地領主として成長した(千葉大系図など)

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改訂新版 世界大百科事典 「弥富」の意味・わかりやすい解説

弥富[市] (やとみ)

愛知県南西端の市。2006年4月弥富町が十四山(じゆうしやま)村を編入,市制施行して成立した。人口4万3272(2010)。

弥富市北東部の旧村。旧海部(あま)郡所属。人口5618(2005)。濃尾平野南部に位置し,東は名古屋市に接する。木曾川河口の三角州地帯にあり,17世紀中ごろから約100年間に海辺を干拓して造成された。米作養鶏,施設園芸を主体とする農業が盛んで,1959年の伊勢湾台風で大被害を受けたのを契機に土地改良や農業構造改善事業が進んだ。南東部を西尾張中央道,北西部を国道1号線が走る。

弥富市の北東部を除く旧町。旧海部郡所属。人口3万6957(2005)。濃尾平野の南西端にあたり,南へのびる木曾川の三角州に堤防を築いて開拓した低湿な水田地帯である。米作のほか,野菜や花卉の栽培,畜産も盛んであり,1946-55年に造成された南部の鍋田干拓地では大型機械による農業が営まれている。前ヶ須地区を中心に金魚の養殖,ブンチョウの養鳥が行われる。JR関西本線,名鉄尾西線,近鉄名古屋線,東名阪自動車道,国道1号線が通じる北部一帯は名古屋市近郊の通勤圏に含まれ,住宅団地が集中して市街地を形成している。伊勢湾岸自動車道が通じる南部の海岸部では,工業地域も形成されている。地盤沈下地帯でもあり,1959年の伊勢湾台風では高潮による被害が大きかった。
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