弥彦山の東麓に鎮座する越後一宮。正式には「いやひこ」とよばれ、伊弥彦・伊夜比古などとも記される。旧国幣中社。祭神は現在は天香語山命だが、「万葉集」巻一六の歌などから本来は弥彦山を神体とする伊夜比古神であろうか。明神・弥彦明神と記す例もある。
最も早くに成立したとされる弥彦神社縁起断簡(高橋文書)によれば、和銅二年(七〇九)八月上旬明神が降臨したとある。文明三年(一四七一)の弥彦神社古縁起写(同文書)では、和銅二年に明神が「米水ノ浦」に七日間浮んだのち「太子之浦」に上陸、霊地をたずねて鎮座したという。天平勝宝年中(七四九―七五七)金智大徳の時弥彦明神の本地阿弥陀如来が垂迹したと伝える。元禄元年(一六八八)橘三喜写の奥書のある伊夜比古神社記(弥彦神社叢書)以降の縁起類は、祭神を天香語山命、別名高倉下命とし、紀伊熊野から天鳥舟で
文献上の初見は「続日本後紀」天長一〇年(八三三)七月三日条で、前年来の疫病と干害による餓死から人々を救うため、神験のある「越後国蒲原郡伊夜比古神」を名神としたと記される。承和九年(八四二)一〇月二日には無位から従五位下に(同書)、貞観三年(八六一)八月三日には「弥彦神」が従五位上から従四位下に叙せられた(三代実録)。「延喜式」神名帳には名神社二八五座のうちに「伊夜比古神社一座越後国」とみえ、越後国五六座のうちに唯一の名神大社として「
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新潟県西蒲原郡弥彦村に鎮座。通称〈やひこじんじゃ〉であるが,正しくは〈いやひこじんじゃ〉。《延喜式》にも伊夜比古(いやひこ)神社と記す。天香山(あめのかごやま)命をまつる。創建年代不詳。一説に祭神天香山命は天照大神の曾孫で一名を高倉下(たかくらじ)命といい,天孫降臨に供奉して下り,のち紀伊国熊野にすみ,神武天皇の大和入国に功績をたて,のち天皇の勅をうけ,越後国三島郡野積浜に上陸して弥彦山の東麓に来り,当地方を開拓,住民に漁労,製塩,農耕,酒造等を教えたという。《万葉集》巻十六に当社を詠んだ歌がみえるが,833年(天長10)7月,干ばつと悪疫流行に対して降雨救病の功があり,名神祭にあずかり,神階は842年(承和9)従五位下,861年(貞観3)従四位下に叙され,延喜の制で名神大社,のち越後国一宮とされた。中世,武士により神領を多く奪われたが,上杉氏が尊崇して保護を加え,1615年(元和1)松平忠輝が社領500石を寄進,のち江戸幕府も朱印領500石を寄せた。古くより参拝講,神楽講が結成されて,〈お弥彦さん参り〉が盛んで,越後では当社に参拝のすまぬ男女は一人前と認めない風があった。旧国幣中社。例祭2月2日。ほかに7月25日を中心に灯籠神事があるほか特殊神事が多い。現社殿は1912年村火の延焼炎上ののち,16年の造営。社殿背後の弥彦山頂上に祭神の神廟がある。戦国時代兵火で宝物・文書を多く焼失したが,旧社家高橋氏伝来の文書はなお多く現存。また舞楽も伝承されている。
執筆者:鎌田 純一
→弥彦神社(やひこじんじゃ)
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…新潟県西蒲原郡弥彦村に鎮座。通称〈やひこじんじゃ〉であるが,正しくは〈いやひこじんじゃ〉。《延喜式》にも伊夜比古(いやひこ)神社と記す。天香山(あめのかごやま)命をまつる。創建年代不詳。一説に祭神天香山命は天照大神の曾孫で一名を高倉下(たかくらじ)命といい,天孫降臨に供奉して下り,のち紀伊国熊野にすみ,神武天皇の大和入国に功績をたて,のち天皇の勅をうけ,越後国三島郡野積浜に上陸して弥彦山の東麓に来り,当地方を開拓,住民に漁労,製塩,農耕,酒造等を教えたという。…
…もと宮内庁で行われたが,現在は宮中三殿内の綾綺殿(りようきでん)で行う。宮中のほか,奈良県の石上(いそのかみ)神宮,新潟県の弥彦神社,島根県の物部神社などでも,鎮魂祭が行われている。【沼部 春友】。…
※「弥彦神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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