当山久三(読み)とうやま・きゅうぞう

朝日日本歴史人物事典 「当山久三」の解説

当山久三

没年:明治43.9.17(1910)
生年:尚泰21.11.9(1868.12.22)
近代沖縄の移民の父と称される人物。沖縄本島北部の金武農家に生まれ,師範学校を出て教師となった。国頭郡長と対立して教職を辞め上京,そのころから移民問題に関心を持つ。沖縄社会の改革を目指す謝花昇と出会いその運動に参加したが,運動の挫折後は移民問題に本格的に取り組んだ。明治32(1899)年に沖縄初の海外移民をハワイ送り出し,第2次のハワイ移民(1903)の際には自ら現地に赴き実情を視察した。このとき,詠んだ「いざ行かむ 吾等の家は五大州」は沖縄移民の合言葉となった。その後も移民会社の代理人となって各地に移民を送り出し,財をなした。酒造業にも進出し,県会議員に当選するなど成功を収めた。現在,世界各地に約25万人の沖縄系移民がいるが,その移民県沖縄の基礎を築いた人物として知られる。<参考文献>湧川清栄『沖縄民権の挫折と展開

(高良倉吉)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「当山久三」の解説

当山久三 とうやま-きゅうぞう

1868-1910 明治時代の教育者,社会運動家。
尚泰王21年11月9日生まれ。生地の沖縄県金武(きん)村で教職につく。明治31年上京するが,翌年帰郷して謝花(じゃはな)昇らと民権運動を展開。奈良原繁県知事の弾圧で運動は挫折,以後ハワイへの移民運動をすすめ,県移民の父とよばれる。明治43年9月17日死去。43歳。沖縄尋常師範卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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