往生要集(読み)おうじょうようしゅう

精選版 日本国語大辞典 「往生要集」の意味・読み・例文・類語

おうじょうようしゅう ワウジャウエウシフ【往生要集】

平安中期の仏書。三巻。源信著。永観二~寛和元年(九八四‐九八五)成立。厭離穢土欣求浄土、極楽証拠、正修念仏、助念方法、別時念仏、念仏利益、念仏証拠、諸行往生問答料簡の十門からなる。鎌倉時代浄土教確立を促したばかりでなく、さまざまな面で後世に多大の影響を与えた。

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デジタル大辞泉 「往生要集」の意味・読み・例文・類語

おうじょうようしゅう〔ワウジヤウエウシフ〕【往生要集】

仏教書。3巻。源信著。寛和元年(985)成立。諸経論中より往生の要文を抜粋し、往生浄土の道を説いたもの。日本の浄土教に画期的な影響を与えた。

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改訂新版 世界大百科事典 「往生要集」の意味・わかりやすい解説

往生要集 (おうじょうようしゅう)

比叡山横川(よかわ)の恵心院の僧都(そうず)源信が985年(寛和1)に撰述した書。3巻。〈往生極楽〉に関する経論の要文を集め,〈往生の業(ごう)には念仏を本となす〉という思想を明らかにした平安時代の浄土教信仰を代表する著書。〈それ往生極楽の教行は,濁世末代の目足なり。道俗貴賤,誰か帰せざる者あらん〉に始まる序文が有名で,極楽に往生するためにはただ〈念仏の一門〉あるのみという信念から,一つには自身のため,一つには同行者のため,112部,617文にも及ぶ多数の経論を引用して念仏実践の指南書とした。内容は(1)厭離穢土(おんりえど),(2)欣求(ごんぐ)浄土,(3)極楽証拠,(4)正修念仏,(5)助念方法,(6)別時念仏,(7)念仏利益(りやく),(8)念仏証拠,(9)往生諸業,(10)問答料簡(りようけん)の10章(大文)から成り,第4,5,6章が本書の中核部分で,念仏の正しい在り方を説く。ただ源信のいう念仏は,阿弥陀仏の姿形を観察する〈観想〉と,阿弥陀仏の名号をとなえる〈称名〉との両義に用い,どちらかといえば〈観想〉に比重が置かれ,また念仏以外の諸行を否定せず,鎌倉時代の法然,親鸞の浄土教思想に比べて徹底さに欠けるところがあった。

 しかし,本書が後世の浄土教思想・文学・美術等に与えた影響は計り知れないものがあり,もっとも多くの人に読まれた仏書であるといえる。撰述の翌年,宋の周文徳に付して天台山国清寺へ納められるや,たちまち道俗男女500人余りが帰依したと伝える。また日本では平安末期の《扶桑略記》に〈天下に流布せり〉と記すごとく,浄土教の発展に伴って普及し,念仏結社や講会(こうえ)において本書が読まれ,念仏修行の指針となった。法然は,本書を披覧して浄土教に入り,さらに本書を手引きとして唐の善導の《観無量寿経疏》をよりどころに浄土宗を開き,《往生要集釈》など本書の注釈書4部を著している。文学では《栄華物語》や《十訓抄》《宝物集》などが本書の中の片言隻句を引用したり,本書に主題を求めている。美術では迎接(ごうしよう)形の阿弥陀像や聖衆来迎図(しようじゆらいごうず)あるいは六道図や地獄変相図などが本書の影響下に成立した。江戸時代から明治初期にかけて,本書の第1,2章だけがひらがな絵入りでしばしば刊行され,六道の苦しみをいとい離れ,浄土をねがい求める〈厭離穢土〉〈欣求浄土〉の思想は強く人心をとらえ,日本人の心に地獄・極楽の観念を定着させた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「往生要集」の意味・わかりやすい解説

往生要集
おうじょうようしゅう

平安中期の仏教書。天台宗の僧源信(げんしん)(恵心僧都(えしんそうず))の著。43歳の984年(永観2)11月から書き始め、翌年4月に完成したもので、3巻10章からなる。濁世(じょくせ)末代の人にとって極楽(ごくらく)に往生する道を示す教えこそもっともふさわしいものであるという信念から、そのために必要な念仏について経典や論疏(ろんしょ)のなかから要(かなめ)となる文章を集めたもので、引文は112部、617文に及んでいる。10章のうち、とくに注目されるのは、(1)厭離穢土(おんりえど)、(2)欣求浄土(ごんぐじょうど)、(4)正修(しょうしゅ)念仏、(5)助念方法、(6)別時念仏、(8)念仏証拠(しょうこ)、(10)問答料簡(りょうけん)などの章で、(1)と(2)は現実の苦や不浄、無常などを直視して浄土こそ欣(よろこ)び願い求める所であることを10の楽しみによって示している。(4)~(6)の3章は念仏とそれに必要な修行の仕方を説き、これが本書の中心をなす。そこに説かれる念仏は観想が主体をなし、称名(しょうみょう)念仏の比重は低く、また臨終(りんじゅう)正念を重視した点に特色がある。ついで念仏を勧める証拠の経文を示し、最後にこれまで説いたことを問答により補足している。本書は日本浄土教の基礎を確立した金字塔ともいえるもので、以後長く多大の影響を与え、文学、美術その他習俗にまで及んでいる。脱稿後、中国に送られたことも注目される。

[石田瑞麿]

『石田瑞麿訳『往生要集』全2巻(1963、64・平凡社、東洋文庫)』『石田瑞麿校注『日本思想大系 6 源信』(1970・岩波書店)』

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百科事典マイペディア 「往生要集」の意味・わかりやすい解説

往生要集【おうじょうようしゅう】

平安時代の仏教書。源信(げんしん)の撰述。985年に成立。3巻。阿弥陀仏の浄土に往生(おうじょう)するために必要な経文(きょうもん)の類を抜粋したもの。10章よりなり,地獄の様相と極楽の荘厳(しょうごん)を説き,念仏を勧める。平安時代の浄土教信仰を代表する書であるとともに,思想,文学,美術の上に多大の影響を及ぼし,地獄変,浄土変等は本書の描写に基づく。
→関連項目安楽律院地獄真盛二十五菩薩源隆国

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「往生要集」の意味・わかりやすい解説

往生要集
おうじょうようしゅう

恵心僧都源信の著。3巻。寛和1 (985) 年成立。現実の苦悩や汚穢を直視し,念仏を勤めて,西方極楽浄土の阿弥陀如来の国に往生すべきことを説いたもの。「厭離穢土」「欣求浄土」「極楽の証拠」「正修念仏」「助念の方法」「別時念仏」「念仏の利益」「念仏の証拠」「往生の諸行」「問答料簡」の 10章から成るが,各章はさらに細分されて整然とした体系をなす。百六十余の仏典からの 900条に近い引用文によって構成されたものであるが,日本浄土教を確立した貴重な著述として,のちの宗教,文学,美術などに多大の影響を与えた。往生の事実を示す慶滋保胤 (よししげのやすたね) の『日本往生極楽記』と密接な関係にあるが,本書は地獄の精細な記述など,往生の願いを人々に起させようとするところに力点がある。なお源信の『観心略要集』はこの姉妹編。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「往生要集」の解説

往生要集
おうじょうようしゅう

極楽往生に関する経論文を集め,念仏が最要の行業と説いた天台浄土教を代表する書。3巻。源信(げんしん)著。985年(寛和元)成立。厭離穢土(おんりえど)・欣求(ごんぐ)浄土・極楽証拠・正修(しょうしゅう)念仏・助念方法・別時念仏・念仏利益(りやく)・念仏証拠・明往生諸行・問答料簡(りょうけん)の10門からなる。はじめの3門は六道と極楽の様をのべて極楽往生を願い求めるべき理由を説き,続く6門で往生の行法をのべて念仏最要を明らかにする。第10門は補足説明。観相念仏が主で口称(くしょう)念仏は二義的位置におかれたほか,臨終行儀を重視するなど後世の浄土宗の念仏とは異なる。成立当初から僧侶や貴族層に広く読まれ,11世紀以降の貴族的浄土教信仰の教理的裏付けを提供し,文学や美術にも多大な影響を与えた。「日本思想大系」所収。

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旺文社日本史事典 三訂版 「往生要集」の解説

往生要集
おうじょうようしゅう

平安中期,源信の著した仏教書
985年成立。3巻10章。極楽往生に関する経文を集め,浄土思想を鼓吹した。その影響はきわめて大きく,浄土教成立の基礎をうちたてた記念的作品。

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世界大百科事典(旧版)内の往生要集の言及

【源信】より

…978年(天元1)に著した《因明論疏四相違略註釈》3巻は撰述年時のわかる最初の著書で,のち宋の慈恩寺弘道の門人に贈られたが,青年時代の著述とみられるものに《六即義私記》がある。985年(寛和1)代表著作である《往生要集》3巻を撰述した。本書は極楽往生に関する経論の要文を選集し,念仏を勧めたもので,のちの浄土信仰に決定的な方向を与えた。…

【死】より

…古代末から中世的世界の形成期にかけて姿を現したといえるが,具体的には各種の〈往生伝〉の編述(王朝末期)および《地獄草紙》や《餓鬼草紙》などの六道絵の制作(鎌倉初期)となって実を結んだ。そしてそのような動きに大きな影響を与えたのが源信の《往生要集》であったことは重要である。というのも《往生要集》はその第1章〈厭離穢土(おんりえど)〉と第2章〈欣求浄土(ごんぐじようど)〉によって,のちに日本における地獄学と浄土学の出発点とみなされるようになったからである。…

【地獄】より

…しかし,八熱地獄や八寒地獄などインド以来の仏教のさまざまな地獄観を体系的に記述したのは平安中期の源信であった。彼の主著である《往生要集》の第1章〈厭離穢土(おんりえど)〉は日本の地獄学の先蹤であるといってよく,その地獄の描写は信仰,思想,文学,美術,建築などの面で,その後の日本文化に甚大な影響を与えた。極楽地蔵【山折 哲雄】
【インド】
 〈地獄〉の語は元来サンスクリットのナラカnarakaまたはニラヤnirayaの訳で,地下にある牢獄を意味する。…

【浄土教美術】より

…10世紀には空也によって庶民の間に浄土信仰が醸成される一方,貴族の間には不断念仏と法華経信仰の併修が流行する。 985年(寛和1)源信の撰述した《往生要集》は,現世をいとい来世に往生する手段として阿弥陀如来を念仏する五つの方法や臨終時の作法を説いたが,その中でも最も重視されたのは阿弥陀を観想する法と臨終時に来迎(らいごう)を祈念する法であったとみられる。以後浄土信仰は急速に貴族社会に滲透したが,その際,前者からは定印阿弥陀仏と阿弥陀堂建築が成立し,後者からは迎講(むかえこう),阿弥陀来迎図が生まれる。…

【来迎図】より

…しかしこれらはいずれも《観無量寿経》にもとづく九品来迎図である。ところがこれとは別に10世紀の末ごろ天台僧源信によって撰述された《往生要集》は末法到来の近いことを前提に極楽往生の緊要なことを説き,阿弥陀仏を観想する法と併せて臨終時に阿弥陀来迎を請い願う作法を説き示した。源信の伝記には彼がその生前に阿弥陀来迎を儀式化した迎講(むかえこう)と来迎図を発案したと記している。…

【六道絵】より

…また平安時代に盛行した仏名会には地獄変屛風がめぐらされ,罪障懺悔の効果を高めるようはかられた。しかし六道への強い関心は,10世紀末浄土信仰の昂揚期に異常な高まりを見せ,源信は《往生要集》の冒頭の厭離穢土門で,六道輪廻の苦しみから脱するためには極楽浄土に往生せねばならぬとして,この厭うべき六道の情景を諸経を引用して克明に説いている。以後,六道輪廻の思想は,物語,詩歌などを通して人々の心に浸透していく。…

※「往生要集」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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