後藤基政(読み)ごとう・もとまさ

朝日日本歴史人物事典 「後藤基政」の解説

後藤基政

没年:文永4.6.23(1267.7.16)
生年建保2(1214)
鎌倉中期の武将後藤基綱嫡子。母は,大江能範の娘。越前国守護。鎌倉幕府の引付衆,地奉行として鎌倉の市政に携わった。将軍家の和歌会にはたびたび出席した歌人嘉禎3(1237)年将軍藤原頼経の近習番に選ばれ,以後たびたび番衆に選ばれる。暦仁1(1238)年,検非違使六位尉。仁治2(1241)年叙留されて,検非違使大夫尉。建長3(1251)年壱岐守。正嘉1(1257)年引付衆となる。弘長1(1260)年には『関東近古詠』の選集を命じられた。弘長3年在京を命じられ六波羅評定衆となる。

(永井晋)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後藤基政」の解説

後藤基政 ごとう-もとまさ

1214-1267 鎌倉時代の武将。
建保(けんぽ)2年生まれ。後藤基綱の長男。母は大江能範(よしのり)の娘。嘉禎(かてい)3年鎌倉幕府4代将軍九条頼経(よりつね)の近習番となる。正嘉(しょうか)元年引付衆。将軍御所の歌会にしばしば出席し,弘長(こうちょう)元年「関東近古詠」の編集を命じられた。文永4年6月23日死去。54歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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