後藤実基(読み)ごとう さねもと

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後藤実基」の解説

後藤実基 ごとう-さねもと

?-? 平安後期-鎌倉時代武将
藤原実遠(さねとお)の子。代々源氏につかえる。平治(へいじ)の乱では源義朝(よしとも)の子,義平(よしひら)に属してたたかう。治承(じしょう)4年(1180)源頼朝(よりとも)の挙兵にくわわり,源義経にしたがって奮戦した。「平家物語」によれば,屋島の戦いで扇の的の射手として那須与一(なすの-よいち)を推挙したという。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「後藤実基」の解説

後藤実基

生年生没年不詳
平安末期・鎌倉初期の武将。兵衛尉を称す。父は藤原秀郷子孫で,白河院武者所に属していた宮内丞藤原実信。平治の乱(1159)では源氏方に属して活躍,乱後源義朝の娘(のち一条能保の妻)を京都で育てた。治承4(1180)年源頼朝の挙兵に応じ,屋島の戦などで戦功をあげている。

(本郷和人)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android