後藤純平(読み)ごとう じゅんぺい

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後藤純平」の解説

後藤純平 ごとう-じゅんぺい

1850-1877 明治時代代言人
嘉永(かえい)3年生まれ。明治3年生地の豊後(ぶんご)大分郡で日田一揆を指導し逮捕される。6年出獄して法学をまなび,のち大分県中津で代言人(弁護士)となる。西南戦争がおきると,増田宋太郎らとともに中津隊を組織し西郷軍にくわわる。鹿児島城山で降伏し,明治10年10月20日処刑された。28歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android