後藤貴明(読み)ごとう たかあき

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後藤貴明」の解説

後藤貴明 ごとう-たかあき

1534-1583 戦国-織豊時代の武将
天文(てんぶん)3年生まれ。大村純前(すみあき)の子。肥前(佐賀県・長崎県)における戦国大名間の争いのなか,後藤純明の養子となり武雄(佐賀県)の塚崎城主となる。天正(てんしょう)2年養子惟明(松浦(まつら)隆信の次男)と実子晴明の家督争いがおき,竜造寺隆信の支援で惟明をやぶる。以後,竜造寺氏の勢力下にはいった。天正11年死去。50歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の後藤貴明の言及

【大村純忠】より

…63年受洗することによって,貿易上の結びつきをより強固なものとした。しかし同年大村氏出身の後藤貴明とそれに同調する純忠家臣に横瀬浦を襲われ,滞在していた純忠はかろうじて逃れたものの,横瀬浦は焼亡,領内も反乱軍と貴明にほとんど掌握された。翌年大村領を回復,海戦でも貴明と平戸の松浦氏の連合軍を撃破。…

※「後藤貴明」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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