徐州(読み)じょしゅう(英語表記)Xú zhōu

精選版 日本国語大辞典 「徐州」の意味・読み・例文・類語

じょ‐しゅう ‥シウ【徐州】

[一] 中国古代の九州の一つ。現在の山東省南部と、江蘇省および安徽省北部を含む地域。
[二] 中国江蘇省北西部の都市。黄河の旧本流にのぞむ要地で、市の北東部大運河が通り、また、現在は隴海(ろうかい)線と津浦(しんほ)線の鉄道交差点でもあって、農産物集散地となっている。

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デジタル大辞泉 「徐州」の意味・読み・例文・類語

じょしゅう〔ジヨシウ〕【徐州】

中国江蘇省北西部の都市。津浦しんほ隴海ろかい両鉄道の交差する要地。1938年に日中の大会戦が行われ、1948年には内戦において人民解放軍が国民党軍に勝利した所。人口、行政区168万(2000)。シュイチョウ

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改訂新版 世界大百科事典 「徐州」の意味・わかりやすい解説

徐州 (じょしゅう)
Xú zhōu

中国,江蘇省北西端の市。河南,安徽,山東3省と接する地にある。省直轄市であり,邳州,新沂の2市と銅山,睢寧,沛県,豊県の4県を管轄する。面積は1万1132km2,うち市区960km2。市区人口168万(2000)。

 《尚書》禹貢の九州の一つに徐州があり,泰山以南,淮河(わいが)下流域の広域に対する呼称であった。現在の徐州はこの中のほぼ中間にあたり,周囲は低平な丘陵が並び,黄河支流の汴水(べんすい)(狼湯渠)と淮河支流の泗水(しすい)が交差するところにあり,北すれば山東へ,西は河南,南は江南へと,中原と江南を結ぶ要衝の地であった。伝説では,尭が長寿で有名な彭祖をここに封じ彭城(大彭)と称した。殷文化の強い影響を受けた地域で,春秋時代には殷の流れをくむ宋の支邑であったが,のち南方の楚に占有されたりした。秦は彭城県を置き,中原と南方を結ぶ交通路の通過するところであった。秦末,秦に反して楚の末裔懐王を立てて江南に軍を起こした項梁は,この付近を転戦し,彭城は楚国の都とされた。楚漢の戦に際しても,項羽はここで西楚覇王と称するなど,中原攻略の拠点であり,漢になってからも一時期を除いて楚国(彭城国)が置かれて特に重視された。

 晋より隋に至るまでは彭城郡となり,また漢から置かれた徐州刺史は,三国時代から彭城に治所があり,山東南部から長江(揚子江)にかけての広域を管轄した。晋代には淮河によって南北に分かれ,北部は北徐州と称した。南北朝にはこの北部は北朝の領有するところとなり,彭城は南方攻略の拠点であった。唐代には河南道に属して彭城郡を徐州と改め,中期以後は武寧軍,感化軍など節度使も置かれた。こののち清に至るまで,元末の一時期に武安州と呼ばれた以外は徐州(路,府)の名で呼ばれた。県としては宋代まで彭城県が存在したが,元代に廃止され,清代には州が府に昇格したのを機会に銅山県が設けられた。これは市の北東利国駅に,古くから鉄鉱石を産する地域があり,その一つに銅鉱も少し産するため銅山と呼ぶ小山があることによる。

 徐州は淮河のすぐ北にあり,冬春には中原と同じく乾燥するが,夏秋の大水のときには江南と同じく湿潤となり,交通も水路によって行動することが容易になる。このことから特に南北朝時代には,水軍を主とする南朝側が,大水に乗じて北方を攻略する拠点にもなり得た。また大運河が通じてからは,いっそう重要な拠点として,経済的集散地としての機能も高まった。現在はこれに加えて京滬(けいこ)線(北京上海)と隴海(ろうかい)線(連雲港~蘭州)の交差するところとして,省都南京に次ぐ重要な都市になり,工業も発達している。

 この地理的位置から,近代においても軍事上の要衝として,日中戦争,解放戦争において激戦の地となっている。1938年,前年の華北・華中進攻につづいて,両戦線を結合しようとした日本軍は,両方面より徐州に向けて進軍し,国民党軍と戦った(徐州作戦)。この戦役は従軍した火野葦平の《麦と兵隊》によってもよく知られている。また1948-49年には北西方から進攻した共産軍が,徐州の国民党軍を攻撃して破り,長江以北の解放をなしとげた(淮海戦役)。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「徐州」の意味・わかりやすい解説

徐州
じょしゅう / シュイチョウ

中国、江蘇(こうそ)省北西部の地級市。銅山(どうざん)など5市轄区、豊(ほう)県など3県を管轄し、新沂(しんぎ)、邳州(ひしゅう)2県級市の管轄代行を行う(2016年時点)。常住人口866万9000(2015)。京滬(けいこ)線、隴海(ろうかい)線が交わり、大運河が市の北東部を流れる。黄河(こうが)の旧河道である廃黄河(はいこうが)が市を北から東に取り巻き、南から奎河(けいが)が流れ、自然の防御線をつくる。これらの外側を九里山、雲竜山などの丘陵が取り囲む。この地形および山東(さんとう)、河南(かなん)、安徽(あんき)、江蘇の4省の接点に位置することから、古くから交通上、軍事上の要衝であった。

 秦(しん)代には彭城(ほうじょう)県が置かれ、唐代は徐州の治所であった。明(みん)代に徐州となり、清(しん)代に銅山県と改められて徐州府の治所となった。1945年銅山県の一部が分離して徐州市が設置された。1938年日本軍と国民政府軍との間で戦われた徐州会戦、1948年人民解放軍が国民政府軍14個師団を全滅させ、内戦の勝利を決定的にした淮海(わいかい)戦役の地として知られる。

 市の中央部には標高約200メートルの低い丘陵が点在し、北部と東部は平原で古くから洪水に苦しめられてきた。中華人民共和国成立後、沂河(ぎが)、沭河(じゅつが)などの乱れた水系が治水工事により整備され、今日では洪水の危険は除去された。周辺地区では小麦、米、大豆、ラッカセイなどの生産が多く、徐州はその集散地である。また近郊で産出される豊富な石炭を利用して大型の火力発電所が建設され、石炭化学工業も発達している。ほかに食品加工、化学、建材、機械などの工業が盛んであり、省北部の重要な工業都市となっている。市内には雲竜山、放鶴亭(ほうかくてい)、土山漢墓などの名勝・旧跡がある。

[林 和生・編集部 2017年2月16日]

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百科事典マイペディア 「徐州」の意味・わかりやすい解説

徐州【じょしゅう】

中国,江蘇省北西部の都市。旧名銅山。津浦(天津〜浦口)・隴海(ろうかい)(連雲港〜蘭州)両鉄路の交差点にあり,麦・雑穀,ラッカセイ,麻,大豆油などを集散し,農産加工も盛ん。付近に石炭を産する。徐州は1855年の河道北遷まで黄河本流に臨み,交通・戦略上の要地として争奪の的となった。日中戦争中徐州作戦があり,戦後の国共内戦でも1948年11月,人民解放軍が国府軍に大勝した。326万人(2014)。

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世界大百科事典(旧版)内の徐州の言及

【九州】より

…諸説ある中で最も有名なのは《書経》の〈禹貢〉にみえる九州で,山川を基準にして中国を次のように分けている。冀(き)州(今日の山西省,河北省),兗(えん)州(河北省南部,山東省北西部),青州(山東省中東部),徐州(山東省南部,江蘇省北部,安徽省北部),揚州(江蘇省,安徽省,浙江省),荆(けい)州(湖北省,湖南省,江西省),予州(河南省,湖北省北部),梁州(陝西省南部,四川省),雍(よう)州(陝西省,甘粛省)の九つである。《周礼(しゆらい)》の〈職方氏〉の九州説は〈禹貢〉の冀州の北半分を幽州(河北省北部)と幷(へい)州(山西省北部)に分け,代りに徐州と梁州を除いている。…

※「徐州」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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