徐載弼(読み)じょさいひつ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「徐載弼」の意味・わかりやすい解説

徐載弼
じょさいひつ / ソジェピル
(1866―1951)

韓国の独立運動家。忠清南道(ちゅうせいなんどう/チュンチョンナムド)論山(ろんさん/ノンサン)の人だが、父の任地全羅南道(ぜんらなんどう/チョルラナムド)宝城郡で生まれる。ソウル漢学を学び臨時科挙を通り金玉均(きんぎょくきん/キムオクキュン)ら開化派にくみして1881年(明治14)日本に留学陸軍戸山学校に学んだのち、1884年帰国して甲申事変に参加、敗れてアメリカへ亡命した。アメリカ国籍をとって1896年帰国後、独立協会結成を支援し同年4月『独立新聞』を創刊し、反日独立運動の巨頭となった。1898年再渡米後は、アメリカで独立運動を展開し国際的に活動した。解放後、1947年にアメリカ軍政顧問として故国に赴いたが、1948年の大韓民国成立によってアメリカに戻り、1951年に死去した。

玉城 素]

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改訂新版 世界大百科事典 「徐載弼」の意味・わかりやすい解説

徐載弼 (じょさいひつ)
Sǒ Chae-p`il
生没年:1864-1951

朝鮮の独立運動家。大邱の人。1882年科挙に合格。金玉均らと交わり開化派の一員となった。83年日本の陸軍戸山学校へ留学。84年帰国し,同年12月の甲申政変に参加し兵曹参判となったが,敗れて日本を経てアメリカへ亡命。86年アメリカ市民権をとり,アメリカ名をPhilip Jaisohnとした。93年医師となるが,95年末朝鮮へ帰国し,中枢院顧問に任命され,96年4月には《独立新聞》を創刊し,独立協会の運動を支えた。しかし反独立協会の守旧派策動により追放され,98年5月再びアメリカへ渡った。医師生活を続けたが,三・一独立運動直後から1925年まで在米朝鮮独立運動を展開。47年米軍政府顧問として南朝鮮を訪れ,翌年帰米し同地で死亡した。
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