御木徳近(読み)みきとくちか

改訂新版 世界大百科事典 「御木徳近」の意味・わかりやすい解説

御木徳近 (みきとくちか)
生没年:1900-83(明治33-昭和58)

パーフェクト・リバティー教団PL教団教祖。前名皦正(あきさだ)。愛媛県温泉郡荏原村の黄檗宗安楽寺住職御木長正(のち徳一)の長男として生まれた。1915年黄檗山万福寺の沙弥黌(しやみこう)に入ったが,父に続いて16年より徳光教(教祖,金田徳光)の教師となった。19年金田の死去で徳光教は衰え,徳近は大阪市電に勤務する一方,短歌同人誌《あしかび》を刊行。24年父徳一とともに人道徳光教(のちの〈ひとのみち〉教団)を開教した。36年2代教祖を継承,37年に不敬罪で投獄され,教団は解散。43年に〈結び体〉を結成したが再び投獄され,45年10月に釈放された。46年9月にPL教団を開教,51年に新日本宗教団体連合会(新宗連)結成の中心となり議長,ついで理事長,名誉理事長に就任。53年大阪府富田林(とんだばやし)市の羽曳野(はびきの)丘陵に聖地建設をはじめ,55年に本部を移転,70年には大平和祈念塔を建設した。〈人生芸術である〉と説き,布教に社交ダンスをとりいれた。また宗教平和運動の発展にも尽力した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「御木徳近」の意味・わかりやすい解説

御木徳近
みきとくちか
(1900―1983)

宗教家。明治33年4月8日、愛媛県松山市に御木徳一(とくはる)(「ひとのみち教団」教祖)の長男として生まれる。1936年(昭和11)教団2代教祖を継承したが、軍部弾圧によって教団が解散させられたのち、法廷闘争を続け、第二次世界大戦後の1946年(昭和21)9月29日、教団を再建し、PL教団(現称はパーフェクト リバティー教団)を立教した。『人生は芸術である』『育児芸術』『心を燃やす』『私の履歴書』などの著書や、『天を行く』『羽曳野(はびきの)』『つきよみ』『生くらくは』『神のまにまに』などの歌集がある。昭和58年2月1日帰幽(きゆう)。諡(おくりな)は天行海徳顕㫗命(あまゆくうみとくあらわるひこのみこと)。

[川島通資 2018年6月19日]

『御木徳近著『私の履歴書』(1979・日本経済新聞社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「御木徳近」の解説

御木徳近 みき-とくちか

1900-1983 昭和時代の宗教家。
明治33年4月8日生まれ。御木徳一(とくはる)の長男。昭和11年ひとのみち教団2代教主となる。12年不敬罪で検挙され,教団は解散。21年再建してパーフェクトリバティー(PL)教団と改称。26年新日本宗教団体連合会の結成に尽力,理事長をつとめた。昭和58年2月2日死去。82歳。愛媛県出身。著作に「人生は芸術である」など。

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世界大百科事典(旧版)内の御木徳近の言及

【PL教団】より

…御木徳一(とくはる)(1871‐1938)と御木徳近父子の開教した〈ひとのみち〉教団(1924年人道徳光教として創立,31年改称)が,1937年に解散させられたため,46年徳近がPL教団の名称で再建した新宗教。72年〈パーフェクト・リバティー〉,74年〈パーフェクト・リバティー教団〉と改称。…

※「御木徳近」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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