徳川宗春(読み)トクガワムネハル

デジタル大辞泉 「徳川宗春」の意味・読み・例文・類語

とくがわ‐むねはる〔トクがは‐〕【徳川宗春】

[1696~1764]尾張藩第7代藩主商業を重視し放任政策をとったため、8代将軍吉宗享保の改革対立幕府から隠居させられる。著書温知政要」は絶版処分。

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朝日日本歴史人物事典 「徳川宗春」の解説

徳川宗春

没年:明和1.10.8(1764.11.1)
生年:元禄9.10.26(1696.11.20)
江戸中期の尾張(名古屋)藩第7代藩主。初名通春,幼名万五郎,求馬と称した。同藩3代藩主綱誠の第20子として名古屋で生まれる。享保1(1716)年従五位下主計頭,さらに従四位下に。同14年陸奥梁川3万石を与えられ,侍従。同15年兄継友の急死によって尾張藩主となる。従四位下少将から従三位左近衛権中将,参議を経て権中納言に。その9年間の政治は尾張藩政史上一時期を画するもので,初入国の際,自らの施政方針を示した著書『温知政要』1巻を著し,法令が多いのはよくないとか,倹約はかえって無駄を生ずることになると,おりからの将軍徳川吉宗の享保の改革を批判している。このような方針のもと,死刑を行わず罪人を入牢のまま放置。自ら奇抜な装束をし,城下南部の西小路,富士見ケ原,葛町の3カ所に,藩祖以来禁止されていた遊郭の設置を認めたので,名古屋城下には全国から1000人を超える遊女たちが集まった。常設の芝居小屋も57座にのぼり,江戸,上方の役者が流入,興行は387回を数えたという。さらに商工業を振興し,のちに三家衆といわれる伊藤・関戸・内田家の商業発展の基礎を築いた。 しかし,こうした積極策は緊縮,尚武,法治の政策を進める吉宗の政治とまっ向から対立したため,17年には幕府からの詰問をうけた。このときは言いのがれたものの,藩の士風は乱れ,財政赤字が増加したため,20年ごろ引き締めを行い,藩士の遊郭出入りを禁止,遊郭を整理し,芝居小屋の新設を禁止した。しかし元文4(1739)年に,ついに隠居謹慎を命じられ,名古屋城で幽閉生活に入る。あとには金1万8000両余,米3万6000石余の財政赤字が残った。死後墓石金網がかぶせられるという処分を受けたが,天保10(1839)年にようやく許され,従二位権大納言が追贈された。なお宗春は生涯夫人を迎えなかった。<参考文献>辻達也『徳川吉宗』,大石慎三郎『江戸転換期の群像

(大石学)

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改訂新版 世界大百科事典 「徳川宗春」の意味・わかりやすい解説

徳川宗春 (とくがわむねはる)
生没年:1696-1764(元禄9-明和1)

江戸中期の大名。第3代尾張藩主徳川綱誠(つななり)の子。幼名は万五郎,求馬,のち通春と名のる。1729年(享保14)奥州梁川3万石を拝領,翌年6代尾張藩主継友の死去にともない,兄継友の養子として第7代藩主となる。31年に8代将軍徳川吉宗の諱(いみな)の1字をもらい宗春と改名,32年権中納言に任じられる。39年(元文4)にいたり幕府から隠退,蟄居(ちつきよ)を命じられたが,その理由を《徳川実紀》は,〈身の行ひただしからず〉〈かつ国の政ととのはず〉〈かくては国務に任じがた〉いと,あたかも宗春の個人的な資質に問題があるかのように記している。しかし本当の理由は吉宗を中心に幕府が推し進めている享保改革に,宗春がまっこうから対立するような政策をとったことにあり,幕府の倹約令を批判し,士庶の遊興にも寛大であったことなどが幕府の忌諱に触れたのである。著書に《温知政要》。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「徳川宗春」の解説

徳川宗春 とくがわ-むねはる

1696-1764 江戸時代中期の大名。
元禄(げんろく)9年10月26日生まれ。徳川綱誠(つななり)の子。陸奥(むつ)梁川(やながわ)藩(福島県)藩主から,享保(きょうほう)15年尾張(おわり)名古屋藩主徳川家7代となる。商工業を発展させ,風俗の開放政策をとり,名古屋の町は活況を呈したが,享保の改革の倹約政策に反したため,元文4年隠居謹慎を命じられた。明和元年10月8日死去。69歳。初名は通春(みちはる)。著作に「温知政要」。

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367日誕生日大事典 「徳川宗春」の解説

徳川宗春 (とくがわむねはる)

生年月日:1696年10月26日
江戸時代中期の大名
1764年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の徳川宗春の言及

【温知政要】より

…尾張藩7代藩主徳川宗春がつくった政教書。撰述には朱子学者深田慎斎の助力をうけたといわれている。…

【名古屋[市]】より

…寛文(1661‐73)から元禄(1688‐1704)にかけて街区は特に南方熱田方面に延びた。1730年(享保15)自由な気風の徳川宗春が藩主となり,芝居小屋を建て,商工業を振興するなど,積極的な経済成長政策の結果,三都に次ぐ有数の大都市に発展し,芸所として知られるようになった。大商人の出現に地元でほとんどの商品が間に合い,京仕入れが激減し,〈名古屋の繁華で京がさめた〉との巷(ちまた)の声もあった。…

※「徳川宗春」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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