徳治主義(読み)とくちしゅぎ

改訂新版 世界大百科事典 「徳治主義」の意味・わかりやすい解説

徳治主義 (とくちしゅぎ)

法律によって政治を行う法治主義に対して,道徳により治めるのが政治の根本だとする思想。中国の儒家が主張した。《論語》の〈政を為すに徳を以てせば,譬(たと)えば北辰のその所に居て,衆星のこれに共(むか)うが如し〉〈これを道(みちび)くに政を以てし,これを斉(ととの)うるに刑を以てすれば,民免れて恥なし。これを道くに徳を以てし,これを斉うるに礼を以てすれば,恥ありて且つ格(いた)る〉などの孔子の政治論に始まり,儒家の基本的な思想となる。徳による政治を行うのは君主であるため,これは同時に君主みずからに徳を要求することになる。また徳治を具体的に表すのは礼楽による政治であり,その礼楽は君主が制作するもので,君主の徳の表象にほかならない。徳による政治は儒家の基本的主張であるが,儒家は刑罰を否定したわけではない。徳と刑とはいわば表と裏の関係であり,徳の具体的表現である礼を補うものとして,刑の存在も儒家は認めているのである。
執筆者: 徳治主義の思想は日本にも儒教とともに入り,一定の影響を与えた。まず,律令制がしかれ,中国の政治制度が本格的に採り入れられるに従い,天皇をはじめとする統治の任にある者が徳を有し,その徳をもって民を教化し,仁政を施すことが望ましいとの考えは,当事者たちの間で,少なくとも正面からは否定しにくい建前となった。とくに古代においては,天皇が詔勅等においてしばしば〈徳薄くして位にある〉と謙遜し,災害発生をその〈菲徳(ひとく)故〉とみずから責めており,一方,宮廷知識人の書いたとくに漢文の文章には天皇などによる〈徳化〉〈徳政〉をたたえる表現はそれ以降普通である。武士もその影響を受け,室町幕府守護には〈有徳(うとく)者〉を任ずるべきであるとしたこともある(1338)。そして江戸時代には儒学流行に伴って儒者以外にも上記のごとき考えはしだいに流布し,武士は民の道徳的模範であると主張されることもあり,将軍大名で徳を修めるべく真剣に努力する者も現れるにいたった。しかし,日本では天子たる天皇が易姓革命による王朝交代によってその位を得たとは考えられなかったこともあって,とくに南北朝ころには若干の例があるものの,概して君主が有徳であるべきであるとの思想が不徳非道の君主は位を追われることもありうるとの主張には進みにくく,近世の儒者でも暴君放伐の正当性を否定した者が少なくない。またとくに中世半ば以降,統治者に〈器量〉〈器用〉を要求する思想が強まったが,それらは統治の実際的能力の謂であり,徳治主義とは本来異なる。また,身分・位の上下と徳が比例すべきであるとするいわゆる道徳階級制の理念も,選叙令が〈徳行〉を昇進基準の一つとした例などはあるものの,強固な氏族制そして貴族や武家の支配の下では,科挙制のような形で制度化されるべくもなかった。とくに中世以来の〈徳政〉〈有徳〉等の語の意味の変質は,本来の徳治主義思想の浸透度を物語ろう。なお,今日ときおり聞かれる〈不徳の致す所〉という組織の責任者などのわびごとは,徳治主義のかすかな残響である。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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