出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…アメリカでは《To Live》,イギリスでは《Living》,またフランスでは《Vivre》とも訳されたが,その後,原題の《Ikiru》が定着し,国際的にもクロサワの最高作の1本と評価されている。癌のため余命4ヵ月くらいと死の宣告を受けた市役所の市民課長(志村喬)が,非人間的な官僚主義の末端で無意味に生きた〈勤続30年〉を取り返すために,機械的に処理した古い陳情書を取り出し,下町の低地を埋め立てて小さな児童公園を作ることに挺身して死ぬ。ここまでがいわば導入部で,その後約2/3は主人公の通夜のシーンとなり,市役所の同僚たちを中心とした周辺の人々の回想(それも《羅生門》(1950)のようにきわめて主観的な回想)を重ねることによって,あらためて主人公の生き方が浮かび上がり,甘いセンチメンタルなヒューマニズム映画と思われた前半の部分が,〈生きる〉ことの意味を命がけで追究し証明した1人の人間の気高い物語に変貌していくとともに(雪の降る児童公園で1人ブランコに乗りながら《ゴンドラの唄》を口ずさんで死んでいく主人公のイメージがしだいに画面を圧倒する),周辺の人間たちの卑小さがグロテスクに浮かび上がるという典型的な黒沢的構図と逆転劇に似た映画的構成になっている。…
…戦後の貧しい青春を描いた《素晴らしき日曜日》(1947)につづいて,脚本は植草圭之助とのコンビによっている。戦後社会の一つの象徴的産物である闇市にのさばるやくざたちを取りあげ,中年を過ぎた酔いどれの医師(志村喬)と結核を病むやくざの青年(三船敏郎)との交流を描きながら,やくざの世界の至高の道徳律であり誇りである〈仁義〉の虚偽とむなしさを痛烈にあばきつつ,日本の戦後社会の世相と精神構造,その動揺と混乱を的確かつ鮮烈にとらえた作品であった。映画音楽を〈対位法〉的にとらえた作曲家早坂文雄(1914‐55)とのコンビ第1作であり,1946年の東宝ニュー・フェイス三船敏郎(1920‐97)とのコンビのスタートとなった作品でもある。…
※「志村喬」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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