志津川(読み)しづがわ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「志津川」の意味・わかりやすい解説

志津川
しづがわ

宮城県北東部、本吉郡(もとよしぐん)にあった旧町名(志津川町(ちょう))。現在は南三陸(みなみさんりく)町の南部を占める地域。1895年(明治28)本吉村が町制施行して志津川町となり、1955年(昭和30)戸倉(とくら)、入谷(いりや)の2村と合併。2005年(平成17)同郡歌津町(うたつちょう)と合併して南三陸町となった。リアス海岸志津川湾に面し、JR気仙沼(けせんぬま)線BRT(バス高速輸送システム)、国道45号、398号が通じる。林業、酪農水産養殖が盛んである。志津川湾内の椿島(つばきじま)のタブハマベンケイソウなどの暖地性植物群落は、国指定天然記念物。海岸一帯は、荒砥(あらと)崎、神割(かみわり)崎などの景勝地があり、三陸復興国立公園(旧、南三陸金華山国定公園)に指定されている。なお、志津川湾は2018年にラムサール条約登録湿地となった。1960年のチリ地震津波での被害を教訓に、沿岸には防潮堤が巡らされた。7月24、25日の荒島神社の神輿(しんよ)海上渡御も、チリ地震後に復活した神事である。

[長谷川典夫]

『『志津川町誌』全5冊(1989~1991・志津川町)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「志津川」の意味・わかりやすい解説

志津川
しづがわ

宮城県北東部,南三陸町中・南部を占める旧町域。三陸海岸志津川湾に面する。 1895年町制。 2005年歌津町と合体して南三陸町となった。かつて藤原秀衡の子高衡の居城地。江戸時代には仙台藩直轄地として番所が置かれた。漁港があり,沿岸漁業浅海養殖が盛ん。水産加工業,製材業が立地する。志津川湾にある椿島は全島タブノキ原生林に覆われ,自生北限に近く,林下にはヤブツバキ (藪椿)をはじめ多くの暖地性植物が茂り,椿島暖地性植物群落として国の天然記念物に指定。海岸線は景勝地も多く,三陸復興国立公園に属する。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「志津川」の意味・わかりやすい解説

志津川 (しづがわ)

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

事典・日本の観光資源 「志津川」の解説

志津川

(熊本県阿蘇郡南小国町)
日本の重要湿地500」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の志津川の言及

【志津川[町]】より

…人口1万4653(1995)。三陸海岸の南部,志津川湾に面し,北上高地から続く丘陵が海岸まで迫る。中心集落の志津川は,中世は葛西・千葉両氏が支配したが,近世には仙台藩の直轄地となり,東浜街道の宿駅が置かれ,生糸,海産物の取引でにぎわった。…

※「志津川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android