志谷奥遺跡(読み)しだにおくいせき

日本歴史地名大系 「志谷奥遺跡」の解説

志谷奥遺跡
しだにおくいせき

[現在地名]鹿島町佐陀本郷

朝日あさひ(三四一・八メートル)の北麓付近で発見された青銅器の埋納遺跡。昭和四八年(一九七三)銅鐸二個・銅剣六本が偶然掘出され、同五〇年に緊急調査が行われている。遺跡は佐陀さだ川の沖積地を見晴らす小さい谷の急斜面(比高約四〇メートル)にある。この斜面を二〇―三〇センチほど掘ったなかに銅鐸二個を下に置き、上に銅剣六本が重ね並べられていたと推定されている。その際銅鐸の鈕、銅剣の鋒はいずれも谷底方向に向けられていたようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「志谷奥遺跡」の意味・わかりやすい解説

志谷奥遺跡 (しだにおくいせき)

島根県松江市鹿島町佐陀本郷に所在する弥生時代の青銅器出土地。1972年狭隘な谷間の東斜面から銅鐸2口と銅剣6本が一括発見された。75年鹿島町教育委員会の調査で,斜面を簡単に掘りくぼめた径45cm×55cm,深さ30cmの不整形な埋納坑が検出され,この中に銅鐸2口を逆さまに斜めにねかせ,その上に切先を下方に向け銅剣6本を束ねた状態で納めていたことが判明した。出土の銅鐸は復元高32.2cmの外縁付鈕I式四区袈裟襷(けさだすき)文鐸と,同じく22.3cmの扁平鈕式四区袈裟襷文鐸である。銅剣は6本とも武器としての機能を失った扁平な中広形銅剣で,全長49.3~54cm。銅鐸,銅剣は偶然の発見によるものが大半で出土状態など不明なものが多いが,本遺跡の場合,出土地,埋納状況もかなり詳しく知られ,また銅鐸,銅剣をこのように一括多量に埋納した例は全国でもきわめて少なく,貴重な価値をもつ。出土地東方の日本海を望む海岸砂丘上には,多数の弥生人骨を出土した古浦遺跡があり,両者のかかわりが注目される。
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