志賀町(読み)しかまち

日本歴史地名大系 「志賀町」の解説

志賀町
しかまち

面積:一二三・二六平方キロ

能登半島の中央西部、日本海沿岸の町。北は富来とぎ町、南は羽咋市、東は中島なかじま田鶴浜たつるはま鳥屋とりや鹿西ろくせいの各町に隣接。東部と南部は眉丈びじよう山系に囲まれ、米町こんまち川と於古おこ川が合流した神代かくみ川が町のほぼ中央部で日本海に注ぐ。神代川を境として、北部は集塊岩の岩石海岸で天然の港が開け、南部は対照的な砂丘地を呈する。国道二四九号・能登有料道路が縦貫。於古川の貫流する旧福野ふくの潟は水田地帯となっている。年未詳一一月一一日の前田利家黒印状(雄谷文書)に「外四ケ諸給人」とみえ、これは外浦の「四ケ」の意で、土田つちだ庄・甘田あまだ保・大坂おおさか保・堀松ほりまつ庄を四ヶ郷といったのによるという。

先史時代の遺跡はおもに米町川・安津見あづみ川流域に分布する。米町川流域には縄文時代中期の堀松貝塚、弥生時代の米町川こんまちがわ遺跡・フルワ遺跡、堀松古墳群・フルワ古墳群があり、安津見川流域には弥生時代から古墳時代にかけての集落遺跡である鹿首かしくびモリガフチ遺跡・倉垣くらかけ遺跡や、丸木舟が出土した大坂舟の町おおさかふねのまち遺跡がある。

志賀町
しがちよう

面積:七一・二二平方キロ

琵琶湖南西部に細長く延び、南と西は大津市、北は高島郡高島町に接する。滋賀郡に唯一残る町である。西は釈迦しやか岳・釣瓶つるべ岳・武奈ぶなヶ岳・堂満どうまん岳・比良岳・蓬莱ほうらい山・権現ごんげん山・霊仙りようぜん山などの比良山地の山々で限られ、湖岸に沿って細長く平地が続く。湖岸沿いにJR湖西線と国道一六一号が通る。南端小野おのには小野神社があり、遣隋使の小野妹子などを出した小野氏の本貫の地といわれ、古墳も多く開発は古かった。その北には古代北陸道の和邇わに駅もおかれた。

志賀町
しかまち

2005年9月1日:羽咋郡志賀町・富来町合併
【志賀町】石川県:羽咋郡
【富来町】石川県:羽咋郡

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「志賀町」の意味・わかりやすい解説

志賀〔町〕
しか

石川県北西部,能登半島西岸にある町。 1954年志加浦村,堀松村加茂村,土田村,上熊野村の5村が合体し町制。 1955年下甘田村を編入。 1970年高浜町,2005年には富来町と合体した。町名の由来は近世以来の郷村名による。東側はゆるやかな丘陵地帯で,日本海に面する。西側は海岸地形。中心地区の高浜は江戸時代,若狭から漁師が移住して発展。北部の富来川河口付近は六斎市と大市が立つ市場町として栄えた。福浦は古くからの商港で,江戸時代は北前船の避難港であった。米作が中心で,スイカや葉タバコの栽培も行なわれている。ころ柿特産品。ほかに林業,水産業が行なわれる。海岸部は能登半島国定公園に属し,北部は能登金剛と呼ばれる景勝地。 1993年北部の赤住に建設された北陸電力志賀原子力発電所が営業運転を開始。松尾神社本殿,および高爪神社所蔵の木版彩画懸仏は国指定重要文化財。国道 249号線,能登道路が通る。面積 246.76km2。人口 1万8630(2020)。

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