息栖神社(読み)いきすじんじゃ

精選版 日本国語大辞典 「息栖神社」の意味・読み・例文・類語

いきす‐じんじゃ【息栖神社】

茨城県神栖(かみす)息栖にある神社。旧県社。祭神は岐(くなど・ふなと)神ほか四柱。もと於岐栖(おきす)社といい、創立鹿島香取の二神宮と同じと伝え、東国三社といわれた。古くから鹿島神宮摂社

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本歴史地名大系 「息栖神社」の解説

息栖神社
いきすじんじや

[現在地名]神栖町息栖

常陸利根川左岸平地鎮座する。祭神は岐神・天鳥船神・住吉三神。鹿島・香取両神宮とともに東国三社の一で、鹿島神宮の摂社でもある。旧県社。

最初日川につかわの地に鎮祭されたが、大同二年(八〇七)藤原内麿が現在地へ遷座したといわれ、「三代実録」仁和元年(八八五)三月一〇日条に「授常陸国正六位上於岐都説神従五位下」とある。元亨元年(一三二一)八月二八日のとらいぬ丸等連署起請文案(鹿島神宮文書)には「おきすのやしろの神馬以下のとくふんの事、わよ申候うへハ、しゝそんそんにいたるまて、へんかいあるへからす候」とあり、当社の神馬以下の得分について大中臣忠広ととらいぬ丸が和与しているが、「鹿嶋検非違使兼息栖神主光広」の署名もあり、当社の神主は神宮の社家から選出されていることがわかる。

息栖神社
いきすじんじや

[現在地名]小川町山野

鎌田かまた川の左岸の台地に位置する。祭神は岐神・天鳥船命。旧村社。由緒によると鹿島神宮に摂社の息栖神社(現鹿島郡神栖町)がある例に倣い、村民が総鎮守鹿島神社(馬場村)に対して応永年間(一三九四―一四二八)創立したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「息栖神社」の意味・わかりやすい解説

息栖神社
いきすじんじゃ

茨城県神栖(かみす)市息栖に鎮座。岐神(くなどのかみ)を主神とし、天鳥船命(あめのとりふねのみこと)、住吉(すみよし)三神を配祀(はいし)している。社伝によれば、応神(おうじん)天皇の代に神栖村日川(にっかわ)に鎮祭され、807年(大同2)4月13日に現在地に遷祀されたという。『三代実録』仁和(にんな)元年(885)の条に「正六位於岐都説(おきつす)神従(じゅ)五位下を授く」とみえるのが当社にあたるという。弘安(こうあん)の役(元寇(げんこう)、1281)には、勅旨を奉じ国家安泰の祈願が行われた。旧県社。例祭は4月13日。1月7日に白馬祭(あおうまのまつり)、3月6日に春祭、7月27日に風祭(かざまつり)、11月23日に秋祭、6月30日には川祓(かわはらえ)の形を残した夏越祓(なごしのはらえ)が行われる。

[落合偉洲]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル大辞泉プラス 「息栖神社」の解説

息栖神社

茨城県神栖市にある神社。“息栖”は「いきす」と読む。祭神は岐神(ふなどのかみ)、天鳥船神(あめのとりふねのかみ)、住吉三神。同県鹿島神宮、千葉県にある香取神宮とあわせて「東国三社」と呼ばれる。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の息栖神社の言及

【鹿島神宮】より

…一方,武士は一切経・法華経・大般若経等を寄進し,また忍性(にんしよう)も法華経を読誦している。武士の当社への信仰は室町・戦国時代にも変わらなかったし,要石(かなめいし),息栖(いきす)神社(摂社)の男瓶・女瓶などの伝承も生まれ霊験縁起の原型が形成された。武神であるので武道の場となり塚原土佐守は天真正伝神道流を学び,その孫養子(養子ともいわれる)の塚原卜伝(ぼくでん)は鹿島新当流の祖となった。…

【神栖[町]】より

…東を鹿島灘,西を外浪逆浦(そとなさかうら)にはさまれ,鹿島砂丘の北部を占める。町名は三社参りで知られる鹿島神宮の摂社息栖(いきす)神社と神之池(ごうのいけ)の名にちなむ。かつては麦,スイカなどの砂丘農業が行われていたが,昭和30年代に鹿島臨海工業地域の建設が始まると砂丘に掘込み式の鹿島港がつくられ,神之池の大部分が埋め立てられて,全国でも有数の石油化学コンビナートをもつ工業地区に変わり,人口も急増した。…

※「息栖神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android