恵(慧)日寺(読み)えにちじ

世界大百科事典(旧版)内の恵(慧)日寺の言及

【徳一】より

…東大寺に住した後,若くして都を去り,東国に移った。常陸国の筑波山に中禅寺を開き,また陸奥国の会津に慧日(えにち)寺(現,恵日寺)を創建した。僧侶の奢侈をにくんでみずから粗衣粗食し,民衆教化にも力を尽くして大いに尊ばれ,菩薩とたたえられた。…

【磐梯[町]】より

…福島県北西部,耶麻(やま)郡の町。人口4357(1995)。磐梯山の南西麓に位置し,JR磐越西線が通じる。平安初期に徳一によって開かれたと伝える慧日(えにち)寺の境内地が,ほぼ現在の町域であり,その門前町として発達した大寺(おおてら)が中心集落である。慧日寺の寺領は会津4郡に及び,東北の高野山とも称されていたが,たびたびの戦火によって,堂塔伽藍はことごとく失われた。現在,慧日寺跡は国の史跡に指定されている。…

【磐梯山】より

…ただし修験道の道場としては吾妻山も含む山々にまたがって展開されており,磐梯山はその一画を占めてきたとみられる。そのなかで磐梯山をきわだたせたのは,徳一の開基と伝える慧日(えにち)寺(現,恵日寺)の存在である。一時,子院3800坊,寺僧300人,僧兵数千人,寺領18万石の勢力を誇ったとも称され,その繁栄ぶりは永正8年(1511)銘のある絹本著色《恵日寺絵図》の伽藍配置や遺物などから知られるが,1589年(天正17)伊達政宗の会津侵攻によって炎上,その後再建されたものの,かつての隆盛を再現することはなかった。…

※「恵(慧)日寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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