慈徳院(読み)じとくいん

日本歴史地名大系 「慈徳院」の解説

慈徳院
じとくいん

[現在地名]世羅町重永

重永しげなが西部にある山の南面中腹に位置し、臨済宗仏通寺派。初め松尾山、のち金剛山と号した。本尊地蔵菩薩。

寺伝によると応永七年(一四〇〇)三次みよし旗返はたがえし(跡地は現三次市)の城主松尾長門守光勝の娘で小早川春平室と考えられる松岩寿禅尼の創立仏通ぶつつう(現三原市)の開山愚中周及の直弟子権管寧古衲を開基とする。仏通寺十六派の一つ権管派は当寺を拠点とし、本山仏通寺の運営にも参画した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「慈徳院」の解説

慈徳院 じとくいん

?-1817 江戸時代中期-後期,将軍徳川家斉(いえなり)の母。
一橋家2代当主徳川治済(はるさだ)の側室となり,安永2年(1773)家斉を生む。文化14年5月8日死去。江戸出身。通称お富の方。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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