慧子内親王(読み)けいしないしんのう

朝日日本歴史人物事典 「慧子内親王」の解説

慧子内親王

没年:元慶5.1.6(881.2.8)
生年:生年不詳
平安時代前期の賀茂斎院。「あきらけいこ」とも。恵子内親王とも書く。文徳天皇と藤原列子の子。嘉祥3(850)年父の即位にともない卜定され賀茂斎院となる。仁寿1(851)年4月の賀茂祭ではいまだ斎の期限がきていないので祭に侍することができなかった。仁寿2年禊をしたのち,紫野斎院に入った。しかし,天安1(857)年突然廃され,姉述子内親王が賀茂斎院になった。その事情は秘されて,世間は知ることができなかった。一説には母列子に密通の疑いがかけられたためという。元慶5(881)年無品のまま死亡したが,縁葬諸司は喪家の辞により任じられなかった。

(京楽真帆子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「慧子内親王」の解説

慧子内親王 けいしないしんのう

恵子内親王(さとこないしんのう)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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