慧灌(読み)えかん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「慧灌」の意味・わかりやすい解説

慧灌
えかん

生没年不詳。7世紀中ごろ渡来した三論宗の僧。恵観とも記す。高句麗(こうくり)の人。日本に三論宗を伝えた最初の人とされる。初め隋(ずい)に入って嘉祥寺(かじょうじ)の吉蔵(きちぞう)から三論を学び、625年(推古天皇33)正月高句麗国王に薦(すす)められて来朝、奈良元興寺(がんごうじ)に住し僧正(そうじょう)に任命され、勅により雨を祈り青衣を着て三論を講じた。一説には孝徳(こうとく)天皇(在位645~654)の代に三論を講じ、講説が終了した日に僧正に任命されたともいう。河内(かわち)国志紀(しき)郡(大阪府南河内郡)に井上寺(いかみでら)を開創し、三論を広めた。

[伊藤隆寿 2017年1月19日]

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改訂新版 世界大百科事典 「慧灌」の意味・わかりやすい解説

慧灌 (えかん)

飛鳥時代の僧。生没年不詳。《日本書紀》によれば,625年(推古33)高麗王に貢せられて来朝し,僧正に任ぜられたとある。《三国仏法伝通縁起》には,慧灌は中国の嘉祥大師(吉蔵)から三論を学んで日本へ来て,三論宗の始祖となり,飛鳥の法興寺に住したとある。僧正の補任(ぶにん)について,《東大寺具書》によると,孝徳天皇のとき,天下が干ばつにおそわれたので,慧灌を召し寄せ,青衣を着けて三論を講ぜしめたところ,大いに甘雨が降り,その褒賞として僧正に任ぜられたと伝え,《元亨釈書》には祈雨の三論講説を625年来朝の年とし,晩年には河内の志紀郡に井上(いのえ)寺を建てて三論を広めたとある。このように慧灌の事績に異説はあるが,南都の仏教界では慧灌を三論宗の第1伝に位置づけている。
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