成田忠久(読み)なりた ただひさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「成田忠久」の解説

成田忠久 なりた-ただひさ

1897-1960 昭和時代の教育運動家。
明治30年9月22日生まれ。小学校代用教員ののち豆腐屋を開業。昭和4年北方教育社を設立,児童文集「くさかご」を創刊,翌年には「北方教育」を刊行するなど東北を中心に生活綴方(つづりかた)運動をひろめた。戦後は編集者となる。昭和35年10月24日死去。63歳。秋田県出身。通信技術者講習所卒。旧姓加藤

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の成田忠久の言及

【北方教育】より

…また《赤い鳥》流の文芸主義的な綴方を批判して,綴方と社会科学との結合をめざし,東北農村の地域性,厳しい自然環境とそのなかでの児童を含めた過酷な農漁業労働や貧しい生活をふまえた生活学習を展開しようとした。編集兼発行人の成田忠久を中心に同地方の綴方教師滑川道夫や佐々木昂らの同人組織として,実践記録や創作のほか,児童作品の批評,学校文集の紹介などを行い,教育のリアリズムや生活と表現の問題を論じた。北方教育社の教育改造運動はこの雑誌およびサークル活動・研究会を通じて県外グループとの交流が広がり,34年11月の北日本国語教育連盟結成の軸となるなど〈北方性教育運動〉へと発展した。…

※「成田忠久」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android