戸主(読み)へぬし

精選版 日本国語大辞典 「戸主」の意味・読み・例文・類語

へ‐ぬし【戸主】

〘名〙
① 令制で、戸の法律上の責任者。戸籍筆頭人。こしゅ。戸人(へひと)に対していう。
※書紀(720)白雉三年四月「凡そ、戸主には、皆家長(いへのかみ)を以て為。凡そ、戸は皆五家相保(まほ)る。一人を長と為(す)
条坊制平城京平安京)の宅地の区画。また、その一区画の面積。条・坊の大路で方一六〇〇尺の大区画に分け、これを縦横を四等分する三本ずつの小路によって区画して方四〇〇尺の中区画を作る。これを坪あるいは町と呼び、さらにこの区画を東西に四等分(行という)、南北に八等分(門という)して小区画を作り、戸主と称した。戸主は東西一〇〇尺、南北五〇尺の区画となり、一三九坪弱(約四六〇平方メートル)の面積となる。区画の所在を示す時は、左・右京の何条何坊西何行北何門のように称した。
東寺百合文書‐へ・延喜一二年(912)七月一七日七条令解「合壱区地肆戸主在一坊十五町西一行北四五六七門」

こ‐しゅ【戸主】

〘名〙
① 令制で戸の長。戸口に対する納税の責任を負った家長。
正倉院文書‐大宝二年(702)筑前国嶋郡川辺里戸籍「戸主卜部乃母曾、年肆拾玖歳、正丁、課戸」
民法旧規定での家の統率者、支配者の名称、またはその人。家長。家の系譜・祭具・墳墓の所有権を相続し、家族の婚姻・養子縁組・分家などについて絶対的支配権をもっていた。昭和二二年(一九四七)現行民法の公布とともに廃止。

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デジタル大辞泉 「戸主」の意味・読み・例文・類語

へ‐ぬし【戸主】

大化の改新後、戸の法律上の責任者。こしゅ。
平城京平安京の宅地の最小区画の単位。1町を32等分したもの。

こ‐しゅ【戸主】

一家の主人。家長。
民法旧規定で、戸主権を持ち、家族を統率・扶養する義務を負った一家の首長。昭和22年(1947)家の制度とともに廃止。

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改訂新版 世界大百科事典 「戸主」の意味・わかりやすい解説

戸主 (こしゅ)

改正前の民法旧規定における家族制度の中心的概念で,〈家〉の統率者,支配者。戸主とは,いわゆる家督相続によって得られた地位にほかならないのであり,家督相続は原則として長男の単独相続とされた。戸主の死亡,隠居などによって家督相続が開始されると,長男が新たに戸主となり,その戸主を本とする戸籍が編製された。戸主は,その家の全財産と祖先を祭る権利を一手に収めた。この家産の独占的な支配権と祖先祭祀権の両者が,家族に対する戸主の支配権(戸主権)の精神的・物質的な基礎となったのである。ここに,次・三男の貧困と女性蔑視の近因がひそんでいた。戸主の身分の効果として,もっとも注目すべきものは,家の統制のため戸主に認められた権利義務の集合としての〈戸主権〉である。

 戸主権の内容は次のとおりである。第1に,戸主は家族が居住すべき場所を指定し(居所指定権),これに従わない者を離籍することができる(離籍権)。第2として,戸主は一家の統率者であるから,家族の入家にも去家にも専断的な同意権をもち,この同意を欠くときは無効となる。また戸主自身が去家することは不可能であった。第3に,家族の婚姻,養子縁組についても戸主の同意が必要とされ,かりにこれに違反しても婚姻,養子縁組自体は有効に成立するけれども,戸主はその違反した家族を離籍したり,復籍を拒絶することができる(復籍拒絶権)。第4に,戸主は家族に対して扶養の義務を負う。第1から第3に至ることがらは,必然的に入家・去家をともなった家族制度のもとにおける婚姻,養子縁組,認知などにおいて,当事者の自由意思を少なからず束縛する結果をもたらした。とりわけ悪用されたのは,戸主がその一家内の家族に対して有していた居所指定権や離籍権であった。たとえば,息子の嫁もまた家族であったし,家族であることを前提条件として,戦死した息子の戦没者遺族扶助料などは嫁にさがることになっていたわけであるが,それを巻き上げようとして戸主であるしゅうとが,無理な居所指定を嫁にする。嫁はそれに応じない。すると戸主の居所指定権に服さないという理由で嫁を離籍し,一家外へ追放する。その結果,扶助料は一家内の次順位者であるしゅうとの手に入る,ということなどがあった。この弊害を除去するために,居所指定権については,第2次世界大戦後の改正に先だって,戦時中にとくに民法の一部改正が行われたほどであった。

 どのような歴史的系譜をたどって民法旧規定の戸主権は成立したのかという問題については,学説は分裂している。一般に流布している説は,日本の家族制度の伝統は非常に古く,ことに江戸時代以来は強大な家長権に基づく支配下にあるとし,戸主権はこれに由来すると説明するが,他の説によれば,旧規定の戸主権の制度をもってまったく明治後半期の所産とし,前古無類の新制度であると主張するのである。1890年公布の旧民法では,そのいわゆる第一草案には戸主に関する規定はあっても,戸主権と称するほどのものはなかった。ところが,法律取調委員会や元老院における審議の過程でしだいに戸主権的なものが付加され,公布された法典では,戸主は家族の養育および普通教育の費用を負担するとともに,家族の婚姻や養子縁組の許諾権などをもつことになった。旧民法は〈民法典論争〉のために無期延期となり,ついに陽の目をみることなく葬り去られたが,民法旧規定における戸主権はすでに旧民法のなかに胚胎していたといえよう。

 現行民法では〈家〉の制度を認めていないから,家長すなわち戸主も,法律上は存在の余地がまったくなくなった。しかし現実には,家族制度がいまなお温存されている傾向を否定することはできない。現行戸籍法のもとで編製される戸籍簿の筆頭に記載される戸籍筆頭者に旧戸主の名残を連想させる風潮は根強い。戸主的なものの絶滅のためには,さらに多くの年月と努力を必要としよう。
 →家族制度
執筆者:

古代の律令制において,〈戸〉の責任者として指定された者を戸主といい,戸籍の筆頭に記された。中国律令では〈家長を以て戸主とせよ〉と規定され,日本律令もその規定をそのまま継受するが,家長がはっきりした形で一般的には存在していなかったので,戸主の地位の継承者を明確にするために,721年(養老5)には,戸籍に嫡子(ちやくし)を明記し,戸主の地位の継承責任者とする法令が出された。しかし嫡子の制は政治的な制定にとどまり古代社会では定着しなかった。律令制は戸を単位とし,戸主を通じて施行された。口分田も戸の受田を一括して戸主に授け,戸の課役の納入も戸主の責任とされた。律令制の衰退とともに戸主の制もしだいに形骸化し,租税(広義)の納入の責任者も,平安後期には名主になった。
家督 →(こ)
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「戸主」の意味・わかりやすい解説

戸主
こしゅ

戸または家の首長として,その構成員を統率する地位にあるもの。名目はともかくとして,実質的には,大化以前からあったものと思われるが,大化改新の際,令の規定によって制度化された戸籍の制によって確立した。戸籍,計帳もその申告に基づいて作成され,租・庸・調などの税負担の責任者となった。戸主の戸口に対する支配権の有無は明らかではない。しかし,その地位も時代を経るに従って向上し,平安時代に入り家格によって官位が固定,すなわち極官,極位が定まると戸主の権力は増大していった。特に武家社会以後は,戸主という語はみられないが,これに代って,家督が一門,一族の統率者として財産の継承,配分を定めるようになり,この継承権を通じて一門,一族に対する独占的,絶対的な家父長的支配権をもつようになり,江戸時代にはこれが庶民にまで及ぶようになった。明治になって,新しい戸籍の制度ができ,家族各人の婚姻などによる家籍の移動に対する同意権,養子,嗣子,家督相続,財産贈与などに対する一方的な指定権,家族構成員の居所に対する指定権などをその内容とした戸主権が認められた。第2次世界大戦後の日本国憲法は,個人の自由,平等をたてまえとしたから,このような家族構成員を戸主の従属物とみるような戸主権は否定された。新しい民法のもとでは家の制度は廃止され,それにつれて戸主という概念もなくなり,単に戸籍の最初に「戸籍筆頭者」として記載されている者をさすにすぎなくなった。

戸主
へぬし

(1) 戸または家の長 (→戸主〈こしゅ〉) 。 (2) 古代の都城での面積の単位。平安京は東西南北に直交する街路によって条坊に区分され,1条は4坊,1坊は 16町,1町は 40丈とし,それを東西 10丈,南北5丈に区画した地を戸主と称した。鎌倉時代には鎌倉にもみえる。 (→条坊の制 )

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百科事典マイペディア 「戸主」の意味・わかりやすい解説

戸主【こしゅ】

民法旧規定における家制度の中心となるの統率者・支配者の名称。一家には必ず一人の戸主がおり,祖先の祭祀と家の財産とを承継し,家族の婚姻等に対する同意権,家族の居所指定権等をもっていた。新憲法の精神によって現行民法では廃止された。→家督相続
→関連項目遺産相続隠居家族制度家長家長権契約講戸籍筆頭者

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「戸主」の解説

戸主
こしゅ

1「へぬし」とも。古代における戸の法的代表責任者。戸令に戸主には家長をあてると規定される。戸は,50戸1里制によって国郡里の地方行政組織の末端にくみこまれ,戸主は戸口を統率してその監督を行うとともに,計帳作成時の手実(しゅじつ)の申告,班田に際しての口分田(くぶんでん)の受給,調庸の貢納などの義務を負った。

2近代の戸籍法・民法で規定された戸すなわち家の長。江戸時代の宗門人別改帳で各家の筆頭に名前を記された者は,名前人または家主(いえぬし)とよばれていた。1871年(明治4)制定の戸籍法で戸主という言葉が使用されて以後,一家の長をさす語として広まった。明治政府は国民統治の装置として家を位置づけ,戸主を通じて家族員を統制する方針をとった。そのため戸主を戸籍の支配者として,婚姻・養子縁組など送入籍をともなう家族員の身分上の行為に関し,戸長への届出権を付与した。その結果,家族員は身分上の行為について戸主の統轄に服さざるをえなくなった。98年施行の明治民法では,家族員の婚姻・養子縁組などに対する戸主の同意権が規定された。第2次大戦後,戸主制度は廃止。

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旺文社日本史事典 三訂版 「戸主」の解説

戸主
こしゅ

家の首長として家族を支配・統率する地位にある者
律令制において確立し,最年長者がなった。中世になると家族に対する支配権が強化された。明治時代,戸主権を法制化したが,戦後,日本国憲法で廃止された。

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普及版 字通 「戸主」の読み・字形・画数・意味

【戸主】こしゆ

家長。

字通「戸」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の戸主の言及

【町】より

…平安京の場合,一つの坊が16の〈まち〉からなり,〈まち〉は1から16までの序数が付けられていた。〈まち〉は方40丈で,四行八門の32に地割され,最小の単位は南北5丈,東西10丈で戸主(へぬし)と呼ばれる宅地の区画である。32の戸主からなる方40丈の区画〈まち〉が,平安京都城制の基礎となっている。…

【家督相続】より

…すでに中世から,武士と農民層で広く行われてきた家長の地位と〈家〉の財産(家督)をおもに長男子に独占的に相続させるというこの制度を,近代国家に編入することこそは,明治政府の最重要な課題であった。まず,1871年(明治4)公布の戸籍法(壬申戸籍(じんしんこせき))で明治政府は,〈家〉の代表者の戸主に国家行政の最末端の権力の担い手たる戸長を兼ねさせた。このようにして制度としての〈家〉は天皇制国家の基底に据えられた。…

【戸】より

…このような戸の制度は,朝鮮諸国を媒介にして日本にも継受され,6~7世紀ごろ,朝鮮からの帰化系氏族を朝廷に組織する際に,〈部〉とは異なる新しい組織原理として,〈戸〉の制度が施行されたと推定される。中国律令では,同居共財の家をそのまま戸とする原則であり,日本律令も〈家長を以て戸主とせよ〉という唐律令の規定をそのまま継受するが,古代日本の家や家長のあり方は,中国とはいちじるしく異なっていた。豪族層では,家は家長を中心とする一つの経営体として存在していたと考えられるが,庶民層では,夫婦と子どもからなる小家族が一般には複数集まって生活しており,家長がはっきりとは存在していなかった可能性が強い。…

【相続】より

…また,相続は,財産法上の地位の承継であって,身分法上の地位(たとえば,夫であること)には及ばない。明治民法では戸主の地位の承継としての家督相続が認められていたが,現行民法はそれを全廃したため,相続は純粋に財産法上の地位すなわち権利・義務の総体の承継となった。なお,財産法上の権利義務であっても,扶養請求権のような一身専属的な性質を有するものは除外される(民法896条但書)。…

※「戸主」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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