戸水寛人(読み)とみず ひろんど

山川 日本史小辞典 改訂新版 「戸水寛人」の解説

戸水寛人
とみずひろんど

1861.6.25~1935.1.20

明治・大正期の法学者。法学博士加賀国生れ。東大卒。英・独・仏に留学し,法学・政治学を学ぶ。1894年(明治27)帰国し,帝国大学法科大学教授。ローマ法・民法学を担当。1903年富井政章(まさあきら)らと日露主戦論の「七博士意見書」を発表した。05年講和会議に反対する論文休職処分をうけるが,大学の自治をめぐる紛争に発展し翌年復帰(戸水事件)。08年より衆議院議員,当選5回。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「戸水寛人」の解説

戸水寛人 とみず-ひろんど

1861-1935 明治-昭和時代前期の法学者,政治家
文久元年6月25日生まれ。東京帝大教授。明治36年同僚の小野塚喜平次らと日露開戦を主張して七博士意見書を発表。38年ポーツマス講和会議反対をとなえ休職処分となるが,翌年復職(戸水事件)。41年衆議院議員(当選5回,政友本党)。昭和10年1月20日死去。75歳。加賀(石川県)出身。帝国大学卒。

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世界大百科事典(旧版)内の戸水寛人の言及

【七博士建白事件】より

…日露戦争の直前,7人の学者が開戦論を唱えて桂太郎首相に意見書を提出した事件。東京帝国大学教授戸水寛人,寺尾亨,小野塚喜平次,金井延,富井政章,高橋作衛および学習院教授中村進午は,1903年6月,日清戦争後の遼東半島返還の際,日本が不割譲条件を留保しなかったこと,および義和団事件後の各国撤兵に際してロシア軍の満州(現,中国東北部)からの撤退を詳細に規定しなかったことをあげて政府を非難し,あわせて対露開戦を求める建白書を桂首相と小村寿太郎外相に提出した。彼らはその一方,新聞紙上にそれを公表,政府を軟弱外交と非難し,開戦世論をあおった。…

※「戸水寛人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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