デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「戸田忠敞」の解説
戸田忠敞 とだ-ただあきら
文化元年6月生まれ。常陸(ひたち)水戸藩士。徳川斉昭(なりあき)の藩主擁立に尽力。側用人(そばようにん)から執政となり,藤田東湖(とうこ)とともに弘道館の創設,天保(てんぽう)検地の実施,海防準備などにあたる。安政2年10月2日の大地震の際,江戸藩邸で死去。52歳。通称は銀次郎,忠太夫。名は「ただたか」ともよむ。
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新