ふ‐そう ‥サウ【扶桑】
[1] 〘名〙
① 昔、中国で太陽の出る
東海の中にあるといわれた、葉が桑の木に似た神木。また、その地の称。
扶揺。
扶桑木。
② 太陽。
※本朝文粋(1060頃)一・菟裘賦〈
兼明親王〉「扶桑豈無
レ影乎、浮雲掩而乍昏」
[2] 中国から見て太陽の出る東の方にある国。すなわち、日本国の
異称。
扶桑国。
※
田氏家集(892頃)中・夏夜於鴻臚館餞北客帰郷「行李礼成廻
二節信
一、扶桑恩極出
二蓬壺
一」
※天草本平家(1592)読誦の人に対して書す「バウバウタル コカイニ フナワタリ
シテ〈略〉 Fusǒni
(フサウニ) アトヲ トドメ」 〔王維‐送秘書晁監還日本国詩序〕
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デジタル大辞泉
「扶桑」の意味・読み・例文・類語
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扶桑[町] (ふそう)
愛知県北西端,丹羽郡の町。人口3万3558(2010)。東は犬山市,北は木曾川を隔てて岐阜県に接し,木曾川が形成した犬山扇状地に位置する。畑が多く,かつて養蚕が盛んに行われたが,現在は守口ダイコンとその裏作のゴボウが栽培され,またトマト,キュウリなどのハウス栽培や養豚,養鶏,酪農なども行われる。カーテンを主とするインテリア織物を産するが,近年は繊維工業から精密機械,自動車部品製造など機械工業の比重が高くなっている。中央部を名鉄犬山線が,東部を国道41号線が通るなど交通の便に恵まれ,名古屋市のベッドタウン化が進んでいる。
執筆者:萩原 毅
扶桑 (ふそう)
Fú sāng
搏桑とも書く。中国神話にみえる太陽の昇る木。《山海経(せんがいきよう)》海外東経に,〈湯谷の上に扶桑あり,十日の浴する所〉〈大木あり。九日下枝に居り,一日上枝に居る〉とあって,十日が順次この木から天路に上るとするが,馬王堆第1号漢墓(馬王堆漢墓)出土の帛画(はくが)にみえる。太陽の降る木を若木といい桑樹。桑は神木とされ,禹(う)には台桑,伊尹(いいん)にも空桑の説話がある。扶桑は東海の海上にあるとされ,のち日本の異名となった。
執筆者:白川 静
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普及版 字通
「扶桑」の読み・字形・画数・意味
【扶桑】ふそう(さう)
東海中、日の出る所にある神木。日はその枝から空に上る。日本の別称。〔梁書、諸夷、扶桑国伝〕扶桑は大國の東二餘里に在り。~其の土、扶桑の木多し。故に以て名と爲す。字通「扶」の項目を見る。
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扶桑
日本海軍の戦艦。扶桑型戦艦の1番艦。1914年進水、1915年就役の超弩級戦艦。ミッドウェー海戦などに参加。1944年、スリガオ海峡海戦にて被弾、沈没。
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世界大百科事典(旧版)内の扶桑の言及
【東】より
…さらに《続日本紀》慶雲1年(704)7月の条にみえる,この月に帰朝した遣唐使の粟田朝臣真人に関する旅行体験談には,〈海東〉とか〈大倭国〉とか〈君子国〉とかの語がちりばめられている。 平安時代に入ってから用いられた〈扶桑(ふそう)〉とか〈夫木(ふぼく)〉とかの日本国の別称も,もともと,中国古代神話において,東海のかなた太陽の出る所にあると信じられた大きな神木をさし,またその地をさしていた。中世から近世にかけて,日本の知識人は自国の異称に〈東海〉〈東洋〉〈東瀛(とうえい)〉〈東鯷(とうてい)〉などの語をそのまま用いたが,これらの異称は,いずれも東シナ海の東方に存在する島国という意味である。…
※「扶桑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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