拝師荘(拝志荘)(読み)はやしのしょう

百科事典マイペディア 「拝師荘(拝志荘)」の意味・わかりやすい解説

拝師荘(拝志荘)【はやしのしょう】

山城国紀伊郡拝志郷(《和名抄》)に成立した荘園。〈はいしのしょう〉ともいう。当初は〈拝志〉と書いたが,近接する東寺(教王護国寺)への施入以後は主として〈拝師〉が用いられた。荘田は紀伊郡北部一帯,現京都市南区から伏見区にかけて他の所領と入り組んで散在し,周辺村落からの出作で耕作されていた。畿内型荘園の典型とされる。12世紀半ばころ,民部卿藤原顕頼(あきより)が相伝知行してきた紀伊郡水田11町を自らが建立した興善(こうぜん)院(紀伊郡にあり,安楽寿院末)に寄進して成立(寄進したのは本家職で,領家職は留保)。1198年の田畑は計11町4段余,定田9町7段余でその所当は48石6斗余。その後興善院(領)を含む安楽寿(あんらくじゅ)院(領)が八条院領として後宇多院に伝領された。領家職は顕頼の子孫に相伝されたが,13世紀末ころまでに次第に同家の手を離れた。1313年拝師荘は後宇多院から東寺に施入されたが,その時の田畑は本田・日吉田(日吉十禅師宮神田)併せて20町前後であった。しかし東寺が実質的に支配しえたのは日吉田を除く約半分の10町前後で,その後大きな変化はなかった。東寺は正式施入の前年に既に拝師荘下司職を補任しており,膝下(しっか)荘園として支配を強力に推進したが,15世紀半ば以降は違乱押妨相論のなかで次第に支配力が低下し,年貢過半未納という状態が長く続いた。しかし膝下にあることから,1585年豊臣秀吉から安堵され,知行は継続した。

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