改土帰流(読み)かいどきりゅう(英語表記)Gǎi tǔ guī liú

改訂新版 世界大百科事典 「改土帰流」の意味・わかりやすい解説

改土帰流 (かいどきりゅう)
Gǎi tǔ guī liú

中国の西南地方に住む諸少数民族に対する中国化政策。改土帰流とは土司・土官を改め流官(中央政府任命の地方官)にする意味である。中国の西南地方には昔はミヤオ(苗)・ヤオ(瑶)など各種の未開少数民族が広く居住していて,唐・宋のころまでは中国の支配がほとんど及ばなかった。ところが,元代になり,政府は彼らが帰付した酋長にある種の官職を与え,従来の慣習に従い土民統治を許した。これを土司または土官という。次の明代になると,政府は西南開疆政策により,新たに多くの土司を設ける一方,土司に朝貢あるいは貢賦などの義務を課し,彼らに対する支配を強めるとともに,中国人の進出などにより中国化の進んだ所では,土司の反乱などを機に改土帰流も行った。しかし,改土帰流が盛んに行われるようになったのは清代で,なかでも18世紀の前半,雍正から乾隆の初めころにかけては,オルタイ(鄂爾泰)(1677-1745)らの意見により,西南地方の広い範囲にわたり,多数の土司・土官が廃され,中央から中国人地方官が派遣され,内地同様の州県制統治が行われることになった。そのため土民の反乱が各地であいついで起こったが,鎮定され,その後は中国人の移住増加とともに,西南地方の諸少数民族の中国化が一段と進んだ。しかし,土司は清末から民国時代にかけてもなお相当多数残存しており,改土帰流は未完成のまま,人民共和国成立後の現在にまで持ち越されているといえる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「改土帰流」の意味・わかりやすい解説

改土帰流
かいどきりゅう

中国、明(みん)、清(しん)朝で行われた中国の西南地方を中心とする辺境統治政策の一つ。改土為流(いりゅう)ともいう。雲南貴州四川(しせん)、広西などにはミャオ族ヤオ族などの少数民族が住んでいるが、明朝(1368~1644)ではこれらの地域に通常の地方行政制度を実施せずに「土州・県」を設置した。清朝(1616~1912)でも明の制度を踏襲して、各部族の族長を土州・県の「土官」に任命して、土官の下での自治を許し、それを中央派遣の官僚が監督した。これらの土官は世襲も認められる文官であるが、一方、部族を率いて来帰し、戦功のあった族長は武官である「土司」に任命された。明の制度を踏襲した清朝は、やがて土官、土司を廃止して通常の地方行政に編成し直した。この土官、土司を「品流官」すなわち正式の官僚とすることを改土帰流という。雍正(ようせい)年間(1723~35)にこの地方の少数民族の反乱を鎮圧した鄂爾泰(オルタイ)の手によってより大規模に改土帰流は進められた。

[細谷良夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「改土帰流」の意味・わかりやすい解説

改土帰流
かいどきりゅう
gai-tu-gui-liu; kai-t`u-kuei-liu

中国,明代以後,南西部に住む少数民族に対する政策をいう。改土帰流とは土司,土官を改め,流官 (朝廷任命の正式官吏) とするの意。古くは中国文化の及ばない,いわゆる化外の民として放置されたこれら少数民族は,元朝以来その土着民を土司,土官とする間接統治にゆだねられていた。明,清ではこれらを次第に廃止して朝廷から官吏を派遣し,内地同様の州県制による直接統治に切替える政策を推進した。しかしその中国化の方針は,一面彼らの反発を生み,数多くの反乱を引起し,民国以後も容易に達成されなかった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「改土帰流」の解説

改土帰流
かいどきりゅう

清の対南西民族の統治策
古来この地域には少数民族が広く居住し,中国の支配はおよんでいなかった。そこで元代から,この地域に住む異民族の族長に土司・土官の官名を与え,旧慣習により統治させてきた。清の雍正 (ようせい) 帝以降,内地に近い地方から土司・土官を廃して,流官(朝廷から派遣される正式の官吏)を置き,州県制で内地同様に統治を行い,中国化を進めることとした。この制度は,中華民国まで受けつがれたが,反乱などのため完成しなかった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「改土帰流」の解説

改土帰流(かいどきりゅう)

明代以後実施された辺境地方統治の一政策。土司(どし),土官などによる統治を改め,中央派遣の官吏(流官)の統治に帰する政策をいう。辺境経略ののち土着有力者に官を与えて(土司,土官)統治させる間接統治策は元以来行われたが,中国人の移住増加その他による土着人圧迫などから反乱がたえず,明以後行ったもの。雲南,貴州などに多い。

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