救い(読み)スクイ(英語表記)salvation

翻訳|salvation

デジタル大辞泉 「救い」の意味・読み・例文・類語

すくい〔すくひ〕【救い】

救うこと。救助。救済。「困窮者に救いの手を差し伸べる」「救いを求める」
人の心に安堵あんど感を与えるもの。慰め。「救いのない気持ち」「死傷者のないのがせめてもの救いだ」
救済きゅうさい2」に同じ。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「救い」の意味・わかりやすい解説

救い (すくい)
salvation

〈救済〉ともいう。一般に,超自然的な存在や力もしくは自己の精進・努力によって,生理的な病や心理的な苦痛から脱却すること。その結果,精神的な至福感や神秘的な法悦が訪れることがある。これを整理すると,救いの具体的な内容は,生理的・心理的・精神的・神秘的といったさまざまの位相に重層的にかかわっているということができる。また救いを求める者の態度としては,絶対者や超自然的な力に祈願し奉仕する型と,自己自身の力に頼る型の2種に分けることができる。前者を〈他力的救済〉とし,後者を〈自力的救済〉と考えることもできる。

 一般にキリスト教は絶対者(神)に祈願,奉仕して救いを求める宗教とされるのに対して,仏教は自己自身が絶対者(仏)になることを通して救いを得る宗教であるとされる。前者が神による救いを強調するのに対して,後者は仏になることで得られる救いを重視するといってもいい。そしてこれまで,“神による”キリスト教的な救いは〈救済〉--被造物の至福--と呼ばれ,それに対して“仏になる”仏教的な救いは〈解脱(げだつ)〉--みずから覚醒する者の境涯--と呼ばれるのが普通であった。このような〈救済〉と〈解脱〉という対照的な概念は,さまざまな宗教経験を類型的に分析するうえで有効とされてきたが,もちろんキリスト教的世界に〈解脱〉的契機を内包する宗教経験が存在しなかったわけではなく,同様に仏教世界においても〈救済〉的な立場をとる宗教経験がなかったわけでもない。たとえばキリスト教世界における〈解脱〉的な宗教経験に属するものとしてグノーシス主義をあげることができ,それに対して仏教世界に属する〈救済〉的な宗教経験として浄土教信仰の系譜を考えることができよう。

 仏教文化圏に発達した浄土教信仰では,阿弥陀仏の本願力(他力)によって無力な被造物(衆生)を救済するという教義が説かれ,それがしだいに大きな影響を及ぼすことになった。すなわち,中国浄土教の刺激と影響のもとに形成された日本の源信,法然,親鸞などの救済論がそれであり,いわば,解脱宗教圏に発達した独自の救済宗教ということができる。ところが,このような潮流に対して,とりわけ解脱宗教的特徴を強く示したのが,たとえば空海と道元によって代表される宗教経験であった。空海によって説かれた〈即身成仏〉(その身そのままで仏になること)と,道元によって主張された〈身心脱落〉(心とからだが透明な融合体--仏--になること)の境地こそは,〈解脱〉の特質を端的に示す身心統御の状態であるといえよう。

 以上のことからわかるように,平安時代の日本仏教界の趨勢を,教団史的観点からではなく宗教経験の類型的把握という観点から見直してみるとき,密教における解脱型(空海)に対して,浄土教における救済型(源信)を対照させることができるであろう。その後の日本文化の展開に与えた衝撃の強さからいっても,また民間信仰のレベルにまで深く浸透したことからいっても,上の両者はほぼ拮抗する作用を及ぼしたといっていいのである。もっとも,この両者の信仰形態はやがて接触と融合の傾向を示し,浄土教思想の密教化もしくは密教と西方往生思想との習合,といった形を通して新たな展開をみせることになる。解脱型宗教経験と救済型宗教経験が,たがいに対立するものとしてではなく,むしろ即融するものとして受容されていくことになったのである。そのような現象の典型的な事例として,たとえば12世紀の密教僧である覚鑁(かくばん)の宗教経験をあげることができる。
執筆者:

次にユダヤ・キリスト教についていうと,古代イスラエルの共同体が全体と個の相即という〈集合人格corporate personality〉をなしていることに応じて,共同体の救いと個人の救いとは分離しないという特徴がある。もちろん古い時代には共同体が前面に出て,のちになって個人が前面に出るといえるが,教団と無関係な純粋な個人というものは考えられていない。そして救いの状態に先立ち,できごととしての性格があざやかであることも大きな特徴である。それはまず第1に抑圧からの解放,戦争での勝利であり,これらは神が歴史に関与して起こったこととして,しばしば奇跡とみなされた。出エジプトのときの紅海の奇跡(《出エジプト記》15)は,神が創造にさいし原初の海を治めたことに比せられている。またカナンに入ってからの原住民ペリシテ人との戦いは,神自身が先頭に立って始め,終わらせるものであった。これらのことはイスラエルではつねに歴史の原型として想起される。のちに預言者は終末の救いを第2の出エジプトとし,終末時の王たるメシアを昔の戦争指導者に擬した。エゼキエルや第2イザヤのようなバビロン捕囚期の預言者は,捕囚からの解放の希望とならんで個々人の罪の赦(ゆる)しを語った。さらにのちには,救いが異邦人にまでおよぶと告げられたが,これは《ヨナ書》や《ヨブ記》に見られるように,古いタイプのイスラエル人には理解できないという大きな皮肉を含んでいた。旧約聖書はここで初めて〈悔い改め〉を述べているが,それは神からのできごとに応ずる人間の側のものといえる。《ダニエル書》は旧約聖書中唯一の黙示文学で,アンティオコス4世の迫害下にある小集団のものであり,この異教の暴君への憎悪を隠さないが,しかし異教の王すら“悔い改める”ことができるとして〈信仰のみ〉による救いの道を開いた。

 福音書がイエスの奇跡を多く記録しているのは,出エジプトのさいの神の関与と同様である。しかしイエスは救いのできごとを示しただけでなく,〈神の国〉での生活と倫理をも示して,救いの状態が何であるかも垣間見せた。イエスの救いは十字架と復活にきわまるが,そこでは死の克服と贖罪(しよくざい)とが一つになっている。パウロとヨハネは,グノーシス主義や神秘宗教に対抗して十字架と復活の統一を守り,希望によって迫害と苦難に対処する道を示した。その後の教会では救いの段階が立てられた。東方正教会はそれを聖職者の位階でもって表現し,ローマ教会は悔い改めの業を制度的につくった。しかし救いの根拠が神の預定にあることも強調されている。ルターは教会の中に固定された制度を破って〈信仰のみ〉による救いの道を示したが,近代のプロテスタント教会では〈義認〉と〈聖化〉の関係が大きな問題であった。ピューリタニズムと敬虔主義においては,〈聖化〉とは神の見えざる預定と選びを見える仕方で実現するもので,これによって〈神の国〉の理念を社会的・倫理的に実現しようとした。このような楽天的な倫理主義は第1次大戦後に強調された終末論によって拒否され,義認と聖化につづく〈栄化〉はもっぱら神の業であること,それによって初めて人類と宇宙の救いが成ることがいわれた。この究極の救いがたんなる自然の救いではなく,〈心の平静ataraxia〉を求めるストア学派の倫理とも一致せず(これはヨーロッパ人の中に深く浸透している),むしろ〈最後の審判〉を通じて第2の創造として実現するというのがユダヤ・キリスト教における特徴である。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「救い」の意味・わかりやすい解説

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