文之玄昌(読み)ぶんし げんしょう

山川 日本史小辞典 改訂新版 「文之玄昌」の解説

文之玄昌
ぶんしげんしょう

1555~1620.9.30

織豊期~江戸初期に文筆で活躍した臨済僧。号は南浦(なんぽ)・懶雲(らいうん)など。日向国生れ。幼時仏門に入り,桂庵玄樹の孫弟子一翁玄心に学ぶ。章句訓詁に通じ,その文才が京都にも聞こえ,15歳で上洛し東福寺竜吟庵熙春(きしゅん)の門に入る。のち郷里に帰り,領主島津義久・同義弘に請われて諸寺を歴住し,また明・琉球との外交文書作成にたずさわった。桂庵訓点を改訂した「四書集注」は文之点として尊重され,著書「鉄炮記」は欧人の初来航を伝える貴重な記録。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「文之玄昌」の解説

文之玄昌 ぶんし-げんしょう

1555-1620 織豊-江戸時代前期の僧。
弘治(こうじ)元年生まれ。臨済(りんざい)宗。煕春竜喜(きしゅん-りゅうき)の法をつぐ。島津氏につかえ,外交文書を作成。また「四書集註(しつちゅう)」などに訓点(文之点)をほどこした。元和(げんな)6年9月30日死去。66歳。日向(ひゅうが)(宮崎県)出身。俗姓は湯佐(一説和仁)。号は南浦(なんぽ),懶雲。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の文之玄昌の言及

【漢詩文】より

… 室町時代に入っても惟肖得巌(いしようとくがん),天章澄彧(てんしようちよういく)などは漢風の作品を生まんと努めたし,和様が加わっても,骨格が漢文本来の文脈をくずさなかった作者に,瑞渓周鳳(ずいけいしゆうほう),横川景三(おうせんけいざん)があった。室町時代後半には五山僧の文学創作欲は衰え,代わって中国儒典の研究熱をたかめ,この方面の学者,たとえば桂庵玄樹(けいあんげんじゆ),文之玄昌(ぶんしげんしよう)(南浦)などが,かたわら詩文を製した。このような流れにつづいて,江戸時代の儒学は多く五山より発生したので,江戸時代儒者の作る漢詩文は,その初期の人たる藤原惺窩(相国寺の禅僧文華宗蕣),林羅山(建仁寺に学んだ)などの作品にみられるように,五山文学そのままの趣があった。…

【鉄炮記】より

…1543年(天文12)日本への鉄砲伝来の来歴を伝える基本文献。1606年(慶長11)薩摩の学僧文之玄昌が種子島久時の求めに応じ,種子島家譜その他の資料により久時の祖父時尭(ときたか)の功績をたたえるため編纂した。文之の詩文集《南浦文集》に収載。…

※「文之玄昌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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