文法論(読み)ぶんぽうろん(英語表記)theory of grammar,grammatical theory

精選版 日本国語大辞典 「文法論」の意味・読み・例文・類語

ぶんぽう‐ろん ブンパフ‥【文法論】

〘名〙 言語学の一部門。文法④について、普通は、単語論(品詞論)と構文論(統辞論)の二分野を設ける。文法学。→文法
※日本文法史(1907)〈福井久蔵〉二「氏の文典は文典にして兼ねて文法論たるなり」

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デジタル大辞泉 「文法論」の意味・読み・例文・類語

ぶんぽう‐ろん〔ブンパフ‐〕【文法論】

言語学の部門の一。文法2について研究する分野。普通は単語論(品詞論)と構文論(統語論)の2分野を設ける。

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最新 心理学事典 「文法論」の解説

ぶんぽうろん
文法論
theory of grammar,grammatical theory

個別言語または人間の言語全般のさまざまな言語単位(音,語,句,文など)に関する形態(形式)や,結合の仕方,解釈などについての規則性を体系的に扱う理論。一般的には,単に文法grammarということが多い。狭義には,句や文に関する規則性を扱う統語論syntaxのことを,文法論(文法)とよぶこともある。言語単位の規則性に加えて,その獲得(個体発生),誕生(系統発生),進化,歴史的変化などのメカニズムやそれに関する規則性を含める場合には,言語理論linguistic theoryとよぶのが一般的である。以下で扱う認知文法は,認知言語学という言語理論の一理論であり,生成文法は生成文法論という言語理論と同義である。生成文法では,文法という用語は意図的に多義的に使用され,規則体系の理論的な記述と,それがとらえようとしている心的実在(脳内にあると考えられている言語の機能・能力,すなわち後述する言語機能の中身)の両方を意味している。

【認知文法cognitive grammar】 認知文法(認知文法論)とは,広義には認知言語学の言語観に立つ文法研究全般を指すが(Lakoff,G.,1987),狭義にはラネカーLangacker,R.W.(1987,1991,1999,2008)が提唱する文法論を指す。以下では,後者の意味での認知文法を,概念的統一,理論の簡素性,自然さの三つの特徴を備えたものとして説明する。

1.概念的統一は,文法と語彙の間には質的な差はなく,いずれも意味と形式の結びつきである記号ととらえることができ,両者は連続体を成すとする考えである。これは認知文法が唱える記号的文法観によって可能となる。文法はそもそもなぜ必要なのだろうか。われわれは心に浮かんだ思い(メッセージ内容)をつねに一語でもって表現できるわけではない。心に浮かぶ思いは無限に異なるのに対して,記憶できる語の数は有限だからである。そのため,われわれは手持ちの語を組み合わせ,複合的な表現を作り出すことによって,なんとか近似的に思いを表現しようとする。文法とは,部分である個々の語の意味を足場にして,どのようにメッセージ全体の意味を構築すればよいかを指図するものと考えられる。そうすると,文法の役割は,語彙と同様,意味を表わすことにあるといえる。言い換えると,文法(品詞,文法関係,構文)も語彙と同様,形式と意味が慣習的に結び付いた記号であるということになる。この記号的文法観に立つと,語彙・形態論・統語論の対象は,いずれも同じ枠組み(後述する内容要件)を用いて,統一的に扱うことが可能となる。

2.概念的統一から帰結するのが,理論の簡素性である。認知文法は,記号的文法観のもと,言語使用を可能にする母語話者の言語知識およびその習得のモデルとして使用依拠モデルusage-based modelを唱える。言語知識は,実際の言語使用で生じる具体的事例からボトム・アップ式にスキーマ化,拡張を繰り返して織り上げられていき,形式も意味も具体的で使用頻度の高いもの(例:gimme a break)から,形式も意味も抽象的なもの(例:V NP NP;Vは動詞,NPは名詞句)まで,中間にさまざまな抽象度・使用頻度のレベルのスキーマ群(例:give me NP,give NP NP)を擁する膨大かつ余剰的な記号のネットワークを成すものと考えられる。このように構想された言語知識の記述には,①言語表現に実際現われる音韻的・意味的・記号的構造,②それらをスキーマ化した構造,③①と②の間で成り立つカテゴリー化関係,の3種以外は許されないとする枠組みが内容要件content requirementであり,これによって認知文法の理論の簡潔性が保証される。

3.自然さとは,内容要件にある音韻的・意味的・記号的構造の記述に際し,知覚,カテゴリー化,把握,注意,図と地,際立ち,スキャニング,参照点能力,推論といった独立に動機づけられている認知能力のみを用い,文法の認知的基盤cognitive basis of grammarを探る姿勢を指す。これは言語を「古い部品から作られた新しい機械」(Bates,E.,1994),すなわち人間にもともと備わっていた諸々の認知能力から創発した新しい認知機構と見る言語観に由来する。この観点から,名詞・動詞などの品詞,主語・目的語などの文法関係のように意味的な定義は従来不可能といわれてきたもの,照応のように生成文法では統語論固有の理論装置を用いて分析されてきたものに対して,認知的分析がなされてきている。

 以上の3点において,認知文法は古典的な生成文法と対照を成し,この理論的枠組みのもとでさまざまな言語の多様な言語現象の研究が進められている(Langacker,2007)。【生成文法generative grammar】 生成文法(生成文法論)は,チョムスキーChomsky,N.によって提唱され,20世紀後半から21世紀にかけて言語学界で一大潮流を成す言語理論である。ある言語の音や語句,文の種類や規則性,解釈などを単に記述するのではなく,なぜ規則性が成り立つのか,そもそもなぜ人間が言語を話したり理解したりすることができるのか,なぜ言語を獲得することができるのか,などといった根源的問題を原理的に説明しようとする説明理論である。

 生成文法の最も根本的な主張として,人間だけが脳の中に言語を獲得できる言語機能language facultyをもっており,それに基づいて無限に新しい文を生成するgenerate,すなわち文を作り出したり,理解したりする,という仮説が挙げられる。言語機能は先天的な機能の一つであり,循環機能や消化機能に対応する器官が体内に存在するのと同様に,言語機能に対応する言語器官language organが脳を中心に存在すると考える。脳を構成する一つのモジュールmodule(大きな組織を構成する基本的な独立した単位部門)であり,思考や意図,記憶,聴覚,運動機能など,他のモジュールと複雑に絡み合って実際の発話が営まれる。生成文法は,こうした言語機能についての説明理論である。

 言語機能の中身や性質を明らかにするうえで,発話として現われた表面的な形や構造ばかりではなく,その背後により基本的な構造を仮定する。初期の生成文法の理論では,前者を表層構造surface structure,後者を深層構造deep structureとよび,抽象的な深層構造を具体的な表層構造に関係付ける装置として変形規則transformational ruleが提案された。たとえば,英語のWhat did John buy?という疑問文は,John bought whatという深層構造にWH移動WH movementとよばれる変形規則を適用して,疑問詞whatを文頭へ移動することによって表層構造が派生される。変形規則という独特な操作を仮定するので,初期の生成文法(後述する初期の標準理論)は変形文法transformational grammarともよばれた。

 生成文法の歴史は,言語機能の主にどの側面の解明をめざすかという目標に基づいて,おおむね三つの時期に分けられる。初期の標準理論standard theory(チョムスキーの最初の著書『文法の構造Syntactic Structures』の出版年である1957年から,1970年代まで)では,言語機能の中身,すなわちそこに含まれている言語知識の解明をめざした。言語知識として,深層構造を作り出す句構造規則phrase structure rule,それに操作を加えて表層構造へと導く変形規則という二種の規則群が個別言語ごとに提案された。やがてそれらの中から,どの言語にも当てはまる共通性が普遍文法universal grammar(UG)の規則や原理として抽出される。

 続く統率・束縛理論government-binding theory(GB理論。1970年代末から1980年代)では,言語獲得の問題に関心が向けられる。主に人間がだれもが短期間のうちに母語を獲得できるという根拠から,言語機能の中身は生得的な人間言語に共通したUGの原理と,後天的に微調整を加えて言語間の相違を生み出すパラメータparameterから構成されると仮定する。UGの原理とパラメータによって言語獲得の普遍的側面と言語間の相違をとらえようとする接近法なので,原理とパラメータの接近法principles-and-parameters approach(PPアプローチ)とよばれる。従来の句構造規則は,どの言語にも当てはまる文の鋳型を作る規則(Xバー・スキーマX-bar schema)だけに,また変形規則は任意の要素を任意の位置へ移動する規則(α移動Move-α)だけに縮小・単純化され,それらにさまざまなUGの原理やパラメータが働く。

 1990年代からのミニマリスト・プログラムminimalist program(極小主義)では,GB理論で明らかにされたUGの原理に共通する性質(たとえば,いずれの原理も狭い範囲の関係を規定するという局所性や,文法操作は最小労力による経済的な適用を行なうという経済性などの性質)に注目して,言語機能は最小限の働きをする最小数,つまりミニマルな道具立てから構成されるものと仮定される。言語に特有な規則としては,二つの要素を結合する併合mergeという操作が一つ仮定されているだけである。一方の要素Aの外部にある要素BをAに結合する外的併合は従来の句構造規則に,Aの内部にある要素CをAに結合する内的併合は変形規則やα移動に相当する働きをする。併合の反復的(回帰的)な適用によって,文の構造が作られ,別の構造へと変換されていく。

 こうした極小主義の仮定は,当時アメリカの思潮であった進化論の議論に,言語の点から参入することを可能にした。言語の誕生に関して,進化生物学や考古学,人類学などの分野で,ダーウィンDarwin,C.の進化論に沿って,動物の叫び声や鳴き声から長大な歳月をかけて自然選択に基づいて徐々に進化したとする説がある。一方で,ダーウィンと同時代の博物学者ウォレスWallece,A.R.の流れを汲んでほんの数万年前に現生人の祖先に突然わずかな変異が生じ,創発したとする説がある(Tattersall,I.,1988;Jenkins,L.,2000;Carroll,S.B.,2005)。極小主義の言語機能についての仮定は,後者の説にうまく適合する。短期間に創発したのであれば,言語に特有な装置や原理は極小主義が仮定するようにごくわずか(具体的には,併合だけ)であり(Houser,M.D.et al.,2002;Chomsky,2008;Hornstein,N.,2009),GB理論の研究から明らかにされてきた局所性や経済性の原理は,言語だけではなく,生命体全般,自然全般にも当てはまる原理や摂理に由来するものと考えられる。極小主義は,言語の誕生や進化など進化生物学的な問題に関心を向けているので,生物言語学biolinguistics,あるいは進化言語学evolinguisticsとよばれる。

 このように生成文法は,伝統的な言語研究の中心課題である言語の正確な記述ばかりではなく,言語知識や言語獲得,言語進化などの問題も射程内に入れている。さらにこうした言語機能の研究を通じて,言語と同様に脳で営まれる記憶や思考,知覚,空間認識,想像など他の高次脳機能(認知cognition)の研究にも有力な示唆を与えている。認知革命cognitive revolutionを引き起こしたといわれる所以である。

 生成文法は,脳内の言語機能やその発達の問題に関心を向けている点ではメンタリズムmentalismの立場であり,もっぱら観察可能な行動に関心を向けた20世紀前半の行動主義behaviorismの心理学や言語学と鋭く対立する。言語の源を人間の先天的な理性に求める点では,知識や原理の生得性を主張するデカルトDescartes,R.やフンボルトHumboldt,W.vonなどの理性主義rationalism(合理主義)の流れを汲む(Chomsky,1965,1966)。言語機能を生命体の器官としてとらえ,言語進化の問題に関心を向けている点では,自然主義naturalismの立場に立つ。また,言語機能の規則や原理によって脳内に心的な表示representationが作られ,それらに操作を加え(計算computationとよぶ),言語が生成されると考えるので,表示主義representationalism,あるいは計算主義computationalismとよばれる。言語や知識全般を,ニューラルネットワークに模してネットワークとしてとらえようとするコネクショニズムconnectionismとは対照的である。

【生成文法と言語獲得の生得性】 人間ならばだれもが,周囲で話されている言語を母語として獲得できる。チンパンジーなどの類人猿音声言語や手話を習得させようと訓練しても,言語のような複雑な記号操作を行なっていることを示す結果は出てこない。言語獲得language acquisitionは,人間のみができるといえる。だれもが獲得できることからすると,言語を獲得する機能(言語機能)がヒトという種に生物学的・遺伝的・先天的に備わっているものと仮定できる。

 言語機能の初期状態(生まれたときの状態)は,どの言語の獲得にも対応できる原理の体系,すなわち普遍文法(UG)と考えられる。生得的に備わっているUGが,周囲で話されている言語に接することにより,その言語を母語として獲得する。母語を獲得するということは,その言語の文法が脳内にできることである。いわば一次言語資料としての周囲の言語が,5歳くらいまでの獲得期間に生得的なUGに送り込まれると,当該言語Liの生成文法ができ上がる。UGは,言語獲得を可能にする装置なので,言語獲得装置language acquisition device(LAD)ともよばれる。

 一次言語資料 → UG → Liの文法

 (周囲の発話)  (LAD)  (母語)

 上図からすると,UGとLiの文法は別物のように見えるが,生得的なUGが周囲の発話に接することによりしだいに変容していき,最終的にLiの文法となるのである。UGは生まれた時点の初期状態に当たり,変容するごとに新たな状態を迎え,最終的に安定状態に達することによりLiの文法が獲得される。

 初期状態0 → 状態1 → …状態n… → 安定状態s

  (UG)              (Liの文法)

 言語獲得の生得性innateness of language acquisitionを示す根拠として,次のような事実が挙げられる。第1に,子どもは,獲得しようとしている言語の相違にかかわりなく,同じ時期に同じような段階――前言語段階(0~12ヵ月),1語段階(12~18ヵ月),初期複数語段階(18~24ヵ月),後期複数語段階(24~30ヵ月)――を経ていく(Radford,A.,1990)。ちょうど子どもの歯が,生後6ヵ月ころから乳歯が生え始め,5~6歳ころになると永久歯が生え始め,12歳ころにすべての永久歯がそろうといった,生物学的に決まっている段階を経ていくのと同じである。

 第2に,動物に視覚処理などの獲得可能な時期(臨界期critical period)があるのと同じように(Hubel,D.H.,& Wiesel,T.N.,1962),言語の獲得にも臨界期がある。そのことを裏づける証拠として,イザベルIsabelleとジーニーGenieという対照的な現代の野生児の例が挙げられる。どちらも発見されるまで,言語から隔絶された劣悪な生活を強いられ,発見されたときには心身ともに発達が著しく遅滞し,言語を話すことも理解することもできなかった。発見後の訓練の結果,イザベルは普通の子どもと同じように話せるようになったが,ジーニーは言語を獲得することができなかった。両者の顕著な相違は,発見時がイザベルは6歳であったのに対してジーニーは13歳であったという点である。こうした事実および失語症の回復可能性や第2言語獲得などの事実からして,言語の獲得にも臨界期があり,その時期はほぼ思春期の開始期(11~12歳ころ)に当たると考えられる(Lenneberg,E.H.,1967)。

 第3に,子どもは,言語獲得期に接する発話(一次言語資料)が量的に限られており,質的にも理想から程遠いにもかかわらず,当該言語の完全な文法を獲得することができる。言語の獲得においても,刺激の欠乏poverty of stimulusにもかかわらず,経験したこと以上の知識を獲得するというプラトンの問題Plato's problemが見られるのである。言語獲得が,経験主義empiricismの主張するように経験に大きく依存して行なわれるのであれば,経験しない発話やその規則性を獲得しないであろうし,周囲で耳にする不完全な発話に基づいて不完全な文法を身に付けることになるであろうし,経験の多少の個人差によって異なった文法を獲得することになるであろう。さらに生得性の根拠として,言語の相違にかかわりなく,獲得された文法に共通した文法的特性(つまりUG)が見られる点が挙げられるが,これは生得的な言語獲得装置であるUGが個別言語の文法に反映されたものである。

 獲得された文法に共通性があるとはいうものの,地球上には6500~7000ほどの異なる言語が存在する。言語が異なるということは,それぞれの言語の文法が相違しているということである。生成文法では,UGの中身は,普遍的な原理と,一定の範囲内での選択肢をもったパラメータから成り立っていると仮定する。パラメータの選択肢は,後天的に周囲で話されている言語に基づいて選ばれ,異なった選択肢を選択することにより,異なった言語を獲得することになる。言語獲得とは,それぞれのパラメータの値を決定(選択肢を選択)していく過程のことに他ならない。UGとして生得的にパラメータの選択肢が用意されているので,刺激の欠乏にもかかわらず,わずかな言語経験で選択肢を選んでいくことができる。

 パラメータの例として,主要部パラメータhead parameterが挙げられる。動詞句や名詞句の中心となる主要部(下線部)が,日本語などの言語では「リンゴを食べる」「花子についての物語」のように句の末端に現われるのに対して,英語などの言語ではeat apples,stories about Maryのように句の先端に現われる。主要部パラメータには,先端と末端という選択肢が用意されており,日本語のような言語は後者を,英語のような言語は前者を選ぶ。また英語ではIt's fineのように必ず主語が必要だが,日本語では「晴れだ」のように主語がない場合もある。これは主語の欠落に関して,可能と不可能という選択肢をもつ主語欠落パラメータsubject drop parameterがあるためである。

 このように言語獲得には,UGという先天的な側面と,パラメータの値の設定という後天的な側面がある。しかし,最近の極小主義では,人間の進化の過程で獲得したと考えられる言語に特有な普遍的原理,すなわちUGの占める比重はそれほど大きくなく,二つの要素を結合する併合という操作が仮定されているだけであり,従来UGの原理とされていた局所性や経済性などの性質をもつ原理は,生命体の機能や組織全般においても働いているものと考えられ,自然界の物理的な原理(すなわち,言語に固有ではない原理)に還元される。言語獲得は,言語に特有なUG,経験,言語に固有ではない物理的原理の三つの要因が絡み合っていると考えられる(Chomsky,2005)。

【生成文法と言語病理】 病変や遺伝子欠損などが原因で,言語の通常の発達が損なわれる症状には失語症,発達障害,統合失調症などがあるが,ここでは主に生成文法の主張とかかわりのある言語病理language pathologyについて見る。

 生成文法によると,言語機能は言語に特有の機能・能力であり,一般知能とは独立したモジュールと考えられる。そのことを裏づける病理として,染色体の一部欠損が原因で生じるウィリアムズ症候群Williams syndromeが広く知られている。外観的には,広い額で小さな頭,上向きの鼻,厚い唇,突き出た腹などの特徴が見られ,知能指数(IQ)は多くの場合40~50程度で,とくに空間理解などに際立った困難が見られる。しかし,言語に関しては,複雑な文を流ちょうに話し,なかには同年齢の子どもより雄弁に話す患者もいる。

 言語機能の独立性をより劇的に示すのが,一般知能に関しては,重度の知的障害idiotでありながら,言語に関しては特殊な才能のもち主savantの例(イディオ・サバンidiot-savant)である。スミスSmith,N.らによるイギリス青年クリストファーについての詳しい観察・実験によると,非言語的なIQは60~70程度(別の報告では50程度)であり,自分でボタンをはめたり,爪を切ったりすることが困難であるが,言語的なIQは110~120にも達する。16ヵ国語のテキスト(なかにはキリル文字のロシア語や,アラビア文字のアラビア語なども含まれる)を即座に英語に翻訳し,必ずしも意味は理解しているわけではないものの,文法的な誤りに気付くと自ら修正する。さらに興味深いことに,イーパンEpunという人工言語の学習実験では,自然言語に見られる特性を備えた文法操作(たとえば,構造に基づいて決まる主語・動詞の数の一致や,動詞の時制変化,名詞の格変化など)は習得できるが,そうではない文法操作(たとえば,動詞を主語の前に倒置して否定文を作るとか,目的語を文頭に前置して過去形を作る操作など)は習得することができなかった。通常レベルの一般知能を有する対照群は,後者のような操作でも習得することができた。クリストファーは,UGの範囲内の文法操作であれば初めて接する人工言語でも習得できるが,一般知能で処理できるものであってもUGで許容されない操作は習得できない(Smith,et al.,1991,1993)。

 これとは逆に,一般知能は比較的良好であるが,言語に特殊な障害が見られる例として,ゴプニックGopnik,M.(1990)が報告した特定言語障害specific language impairment(SLI)がある。イギリスの通称KEとよばれる家系で,3世代にわたり,家系の30名の成員のうち16名に,一般的な知能に関しては特別な問題がないにもかかわらず,言語の特殊な障害(とくに動詞の時制変化や名詞の複数変化など特定の形態論的活用ができない障害)が見られた。時の概念をyesterdayやtomorrowなどの副詞で表わしたり,複数をmanyなど数量詞で表わしたりすることができるのであるから,時や数の概念がないわけではなく,特定の文法操作ができないのである。SLIの原因として,FOXP2(フォックス・ピー・ツー)とよばれる一つの遺伝子(より正確には,第7染色体の31領域)の変異が特定された(Lai,C.et al.,2001)。SLIは,生成文法が主張する言語機能の独立性ばかりではなく,遺伝性・先天性についても強力な証拠になりうるものとされたが,その後の研究で,言語のみならず,口や顔の連続的な統合運動,さらには動物の連続的な統合運動にも関与していることが明らかにされている。そうだとすると,FOXP2の変異は統合運動障害dyspraxia全般にかかわっており,SLIは時制や複数語尾の基体への結合(接辞化)という言語要素の統合運動障害といえる(Berwick,R.C.,& Chomsky,2011)。 →言語獲得の生物学的基盤 →言語獲得の臨界期仮説 →言語機能 →言語障害 →初期言語 →認知言語学
〔野村 益寛〕・〔中島 平三〕

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世界大百科事典(旧版)内の文法論の言及

【言語学】より

…しかし,どの言語も人間の言語である限り一定の共通性を有しているはずであり,したがって,個々の言語の研究が人間言語一般の本質解明に寄与するわけであり,また,他の言語の研究成果,とりわけ他の言語の研究で有効であることがわかった方法論が別の言語の研究においてもプラスになるわけである。 個別言語の構造の研究は,言語そのものの有する三つの側面に応じて,〈音韻論〉〈文法論〉〈意味論〉に分けてよい。
[音韻論]
 音韻論的研究は,その言語がどのような音をどのように用いてその音的側面を構成しているかを研究する。…

【文法】より

…〉では,使われている単語はまったく同じでその順序が異なるだけであるが,(イ)や(ロ)のように並べた音連続には同じ意味を対応させ,(ハ)のように並べた音連続にはこれらと違う意味を対応させるのは,まさに文法のしからしめるところである,というような例(あるいはもっと単純に,〈美しい〉は現在形,〈美しかった〉は過去形,というような音と意味との対応の例)で考えれば,この定義もうなずけるであろう。 さて,以上に述べてきた意味での文法に関する学問,すなわち,(1)~(3)のきまり・規則性・原理としてどのようなものが存するかを体系的に明らかにしようとする学問(およびその成果,理論)のことをもまた,文法という(〈文法学(文法論)〉という場合もある)。学問としての文法は,後述のように長い歴史を有するが,今日では一般に,意味論や音韻論と並ぶ言語学の一部門として位置づけられている。…

※「文法論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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