斎藤 緑雨(読み)サイトウ リョクウ

20世紀日本人名事典 「斎藤 緑雨」の解説

斎藤 緑雨
サイトウ リョクウ

明治期の小説家,評論家,随筆



生年
慶応3年12月30日(1868年)

没年
明治37(1904)年4月13日

出生地
伊勢国神戸(現・三重県鈴鹿市)

本名
斎藤 賢(サトウ マサル)

別名
別号=正直正太夫,江東 みどり,真猿,緑雨酔客,登仙坊

学歴〔年〕
明治法律学校中退

経歴
神戸藩(現・鈴鹿市)典医の長男に生まれ、8歳の時一家で上京。明治17年「今日新聞」の編集に携わり仮名垣魯文に認められ、18年「自由之燈」記者となる。17年「初夏述懐」を発表し、19年初めて小説「善悪(ふたおもて)押絵羽子板」を発表。22年正直正太夫の名で「小説八宗」を著し、批評家デビュー。以後小説、評論の面で幅広く活躍。29年森鷗外・幸田露伴合評「三人冗語」を開始、30年代には「おぼえ帳」などの随筆や「眼前口頭」などのアフォリズムに新しい作風をもたらした。37年自作の死亡広告「僕本月本日を以て目出度死去仕候間比段広告仕候也」を残して死去。「あま蛙」「かくれんぼ」「油地獄」「門三味線」などの作品がある。「斎藤緑雨全集」(全8巻 筑摩書房)が刊行されている。平成4年斎藤緑雨文学賞が創設された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「斎藤 緑雨」の解説

斎藤 緑雨 (さいとう りょくう)

生年月日:1868年12月30日
明治時代の小説家;評論家
1904年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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