斎藤秀三郎(読み)サイトウヒデサブロウ

デジタル大辞泉 「斎藤秀三郎」の意味・読み・例文・類語

さいとう‐ひでさぶろう〔‐ひでサブラウ〕【斎藤秀三郎】

[1866~1929]英語学者。宮城の生まれ。正則英語学校創立し、日本の英語学の発展に尽くした。著「熟語本位英和中辞典」「斎藤和英大辞典」など。

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精選版 日本国語大辞典 「斎藤秀三郎」の意味・読み・例文・類語

さいとう‐ひでさぶろう【斎藤秀三郎】

英語学者。仙台出身。宮城英語学校卒業後、上京して工部大学校入学造船学を専攻したが中退同校でイギリス人ディクソンについて英語、英文学を学ぶ。明治二九年(一八九六)東京神田錦町に正則英語学校を創立。同三七年東京大学文科大学講師。主著「斎藤和英大辞典」。慶応二~昭和四年(一八六六‐一九二九

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朝日日本歴史人物事典 「斎藤秀三郎」の解説

斎藤秀三郎

没年:昭和4.11.9(1929)
生年:慶応2.1.2(1866.2.16)
明治大正時代の英語教育者。仙台生まれ。仙台藩士で運上方の斎藤永頼の長男。父の手ほどきで英語を学び,宮城英語学校を経て明治14(1881)年工部大学校に入学。在学中に英語教師のJ.M.ディクソンから強い感化を受けた。その後,岐阜,長崎,東京の一高などで英語を教えたが,明治29年正則英語学校設立以後,精力的に英語の文法書,読本の註解書,和英・英和辞書の編纂に従事した。その作文練習問題や和英辞典用例には自伝的要素が濃厚。多磨墓地に墓がある。妹は明治女学校生だった斎藤ふゆ,次男は音楽家の斎藤秀雄,次女の婿は無教会伝道者の塚本虎二。<著作>『熟語本位英和中辞典』<参考文献>大村喜吉『斎藤秀三郎伝

(加納孝代)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「斎藤秀三郎」の意味・わかりやすい解説

斎藤秀三郎
さいとうひでさぶろう
(1866―1929)

英語学者。宮城県に生まれる。宮城英語学校を経て工部大学校(現、東京大学工学部)中退。1887年(明治20)二高助教授。岐阜、長崎、名古屋中学校で教え、1894年一高教授。1896年神田に正則(せいそく)英語学校を創設校長となり、English Idiomology(英語慣用語学)を追究した。その『実用英文典』は現行の学校英文法の基盤となり、『熟語本位英和中辞典』が英語学界に与えた利益は計り知れない。著書は二百数点の多きに上る。

[大村喜吉 2018年10月19日]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤秀三郎」の解説

斎藤秀三郎 さいとう-ひでさぶろう

1866-1929 明治-昭和時代前期の英語学者。
慶応2年1月2日生まれ。工部大学校にはいり,英語教師ディクソンの影響をうけた。一高教授などをへて,明治29年東京神田に正則(せいそく)英語学校(現正則学園高)を創設し,校長となる。「実用英文典」「熟語本位英和中辞典」などおおくの編著がある。昭和4年11月9日死去。64歳。陸奥(むつ)仙台出身。

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