斎藤豊作(読み)さいとう とよさく

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤豊作」の解説

斎藤豊作 さいとう-とよさく

1880-1951 明治-昭和時代の洋画家
明治13年6月22日生まれ。黒田清輝(せいき)に師事。明治39年フランスにわたり,印象派に傾倒,点描派風の画風をまなぶ。帰国後,大正3年二科会の創立に参加。8年からはフランス人の妻とベネベルの古城にすむ。昭和26年10月7日死去。71歳。埼玉県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。作品に「夕映(ゆうばえ)の流」「落葉かき」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の斎藤豊作の言及

【明治・大正時代美術】より

…これらは黒田流文展系アカデミズムの平面的な描写=外光主義にあきて,新しい方向を求めていた青年画家たちに強い影響を与えるようになった。このころ斎藤与里(より)(1885‐1959),柳敬助(1881‐1923),津田青楓(1880‐1978),藤島武二,有島生馬,南薫造(くんぞう)(1883‐1950),山下新太郎(1881‐1966),石井柏亭(鶴三の実兄),斎藤豊作(とよさく)(1880‐1951),高村光太郎らが,フランス印象派の手法をたずさえて次々に帰国している。そして1910年高村光太郎が《スバル》に発表した論文《緑色の太陽》は,自然を見る人間の内面的な活動,人格(自我)の表現を主張し,わが国における印象派宣言として青年画家たちを狂喜させた。…

※「斎藤豊作」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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